眠れない夜は、幾万の星空を湛えた雪原のような孤独を抱えてやって来る。
初めてそんな夜を感じたのは8年前のこと。私は21歳だった。
大学のオーケストラ部に所属し、「悲愴」の演奏会を終えた日の夜のことだ。
「悲愴」とはロシアの作曲家、ピョートル・チャイコフスキー作曲、交響曲第6番の副題である。メランコリックでロマンチストな巨匠である彼が遺した、文字通り"最期の交響曲"。初演の僅か9日後に、彼は急死している。
曲の最後のコントラバスは彼の心臓の鼓動を表しているとされており、彼は曲が終わる度に幾度となく安らかな死を迎えることとなる。
頭の中で彼を「先生」と呼び、演奏しながら幾度となく問いかける
私が「悲愴」と出会ったのは20歳の頃だった。
大学オケに入りバイオリンを始めた私は、演奏会のプログラムを決めるために多くの曲を聴き漁っていた。
そして「悲愴」を聴いた瞬間に、これまでとこれからの人生が全て変わってしまうような、そんな予感を抱いてしまうほどの衝撃を受けたのをよく覚えている。
「悲愴」の魅力に取りつかれた私は、いつしか彼を頭の中で「先生」と呼ぶようになる。
先生の書く旋律は、いつだって哀しくて、激しくて、穏やかで、美しかった。
演奏しながら、私は先生に幾度となく問いかける。
先生は何故このような曲を書いたのですか?
先生は何故このように苦しんでいるのですか?
先生は何故このように穏やかでいられるのですか?
先生は何を焦っているのでしょうか?
先生、先生、先生……。
先生は何故、この曲に「死」を託したのですか?
先生はさも「自分で感じ、自分で考えてみなさい」と言わんばかりに感情を揺さぶり続けてくる。喜怒哀楽の全てと、言葉にならない穏やかな絶望、一時的な高揚感、何も残らない寂寥感、焦燥感。
寝付けない夜、「これだ」と思った。先生はもう少しで答えをくれる
私は拙いながらも「悲愴」を紐解き、先生が何を思い、感じ、託したかを演奏に落とし込む作業を続けたのだった。
異変を感じたのは、演奏会の2週間前ぐらいのことである。
夜、寝付けない。
頭がおかしいのは重々承知だが、「これだ」と思った。先生はもう少しで答えをくれる。もっと「悲愴」に入り込むんだ、感じ入るんだ。
先生は眠れないほどの心の病を抱えていた。先生が託したものを理解するんだ。その一心だった。
でも先生は最期まで応えてくれなかった。
応えてくれる前に、先生の穏やかな死を看取ってしまった。
演奏会での演奏を終えたあと、気づいたときには先生はもういなくて、私だけが「悲愴」に取り残されていた。
そしてその日の夜、とうとう私は眠れないあの夜を迎えることになる。
星が幾万にも煌めく穏やかな雪原の中に、一人立ち尽くしているような感覚の夜。
凄まじい孤独だった。隣に人が寝ていても、どんなに気の許せる友人がいても家族と過ごしていても関係の無い、すべてを塗りつぶす無限の孤独がやってきた。
「その孤独のみが真に自分だけのものなのだから」
先生は、最期にそう仰った気がする。
少しして、私は演奏活動から離れることにした。
演奏するのは怖い。ただ、この気持ちもきっとあの孤独へ繋がる
あれから月日が流れ、私は再びバイオリンを持ち始めた。
そのタイミングで、ある募集型オーケストラで「悲愴」を演奏すると聞いた。
「L’orchestre de femme fatale」(通称:強い女オケ)である。
運命を狂わす強い女、魔性の女、自分が思う「強い女」になって演奏することをコンセプトとしたオケである。
「孤独」「悲哀」「鬱」「感傷」「諦め」「怒り」……。一般的には負の感情とされるものこそ私自身のもの、私だけが感じ得る私だけの感情。
それを臆することなく纏えたとき、私は間違いなく"強い女"となる。
運命だと思った私は迷うことなく応募し、ご縁をいただいた。
正直、演奏するのは未だに怖い。また自分の中で何かが変わってしまう気がする。
ただ、この気持ちも全て、あの雪原のような孤独へと繋がるものなのは間違いない。
大いなる孤独――先生はその孤独を忌み嫌いながらも、愛していたのですか?
眠れない夜にそう問いかけて、私はいつのまにか眠りにつく。