「男性」というだけで振る舞いを変えてしまう自分が悔しい
私の恋愛対象は一応、男性。
でも、幼少期のいじめが原因で、男性に対する恐怖心や嫌悪感がいまだに残っている。
その影響なのかもしれないが、男性から触られることに拒絶反応が出てしまうことが多い。
私はまるで汚いものを見るような目をしながら、身体をササッと手で払う。
電車内やすれ違いざまに、男性にぶつかられたときもそうだった。
そんな私の様子を目撃した友人は「本当に嫌だったんだなって分かるくらいヤバイ」と、大笑いしていた。
相手がぶつかってきて謝らないことにも腹が立っているので、私から殺気を感じたとも言われた。
大学に進学してからは男性とも仲良くできていたのだが、数年経ってまた元に戻ってしまった。
社会人になってから、男性との出会いはそれなりにあった。
でも、信じられそうだと安心したタイミングで、相手の人間性の良くない部分を知ってしまう。
人づてに聞いたり、相手が堂々とカミングアウトしてきたりするたびに、私はショックを受けた。
それから、「ああ、やっぱり信じなければよかった」と後悔することを繰り返した。
かつて交際していた男性のことも、色々あって不信感が募り、冷めてしまった。
また男性を「汚らわしい」と感じるようになってしまった。
いい人はいるかもしれないのに、男性だというだけでひどい振る舞いをしてしまうのは申し訳ない。
他の部分では人として成長できているのにと、悔しい気持ちにもなる。
順風満帆そうに見えた店長は、私が知る男性とは違った
そんな私だったが、ここ一年で変化があった。
私には行きつけのお店がある。
そこの店長さんはとてもフレンドリーで、思いやりのある人だ。
私が悩んでいて元気がないときは、いつも心配して話を聞いてくれる。
最初は、私とは住む世界が違いすぎて壁を作ってしまっていた。
ネガティブでプチ陰キャな私とは正反対で、ポジティブ陽キャ。
どうせ私なんかと違って、順風満帆な人生を送って来たのだろうと思っていた。
でも、お店に通うようになって話すうちに、私よりもずっと苦労してきたことを知った。
私が知っている男性とは全然違った。
職業柄もあるかもしれないけれど、苦労してきたからこそ思いやりのある行動ができる。
だから、周りに人が集まり好かれる。
勝手なイメージをもっていたことを申し訳なく思った。
先日、お店で持病の症状が出てしまったことがあった。
私は迷惑を掛けたくなかった。
気づかれないようにトイレにこもったり、見えないようにしてうずくまったりしていた。
しかし、私の異変にはとっくに気づいていて、嫌な顔一つせずに私を優しく介抱してくれた。
「〇〇だから」と決めつけず、その人をよく見て判断していく
そのときに触れられても、まったく嫌な気持ちを抱かなかった。
むしろ、安心感を覚えた。
信用できるようになったからこそ、私はそんな感情をもてたのかもしれない。
ホスピタリティという愛に、私は救われている。
個人的な愛情ではなくても、私に変わるきっかけを与えてくれている。
男性がぶつかってきたときにまだ少し苛立ってしまうことはあるものの、以前よりも寛容な心をもてるようになった。
男性を"男性"というカテゴリではなく、一人の人間として見られるようにもなってきた。
ちょっとずつではあるけれど、過去に負けずに前に進みつつある。
一方的に決めつけず、その人自身をよく見て判断できる人間になれるよう努力していきたい。