大学時代の11月1日、夜の22時ごろ。阪急梅田駅からJR大阪駅へと向かう歩道橋から、ルクア大阪の窓に映し出されているクリスマスツリーに気がつく。
そうか、今年も年末が来てしまったのか。
驚きと悲しさが過り、そして焦燥感に駆られる。

音大生の年末は忙しく、クリスマスを恋人と過ごすなんて考えられない

音大生の年末は、目が回るほどの忙しさである。11月から年末にかけて、たくさんの演奏会と試験などが重なり、目の前にあることをこなすことで一杯一杯になる。
4年間ずっとそんな感じだったのだが、中でも一番忙しかったのは、3回生の頃だった。
あの頃は何週間にもわたって週末に演奏会に出演する依頼をいただいていたので、いつまでも少なくならない授業数に加えて楽器の練習に、演奏会の合わせ練習……。しかも大学主催の演奏会の練習はたいてい授業終わりの18時から21時まであるので、毎日7時には家を出て、帰宅するのは夜の23時という生活が、ずーっと続いていた。

年末の大学の一大イベントといえば、12月の第1週目ごろにあるオーケストラの定期演奏会である。そこで1年のほとんどの体力を持っていかれるのだが、それが終わると授業は1月の学期末に向けての試験準備や、さまざまな提出物の締め切りに追われ始めるし、そしてクリスマスには必ずいくつかの演奏会の依頼が入る。
だから、クリスマスを恋人とゆったり過ごすなんて、とてもじゃないけれど考えられなかった。だから世の中が浮き足立ち始める11月1日、私はその巨大なクリスマスツリーや煌びやかな光の装飾を見て、切ない気持ちになっていたのだ。

演奏の興奮が冷めぬまま帰路についていると、目に留まったのは…

大学主催のクリスマスコンサートはいつもオーケストラと声楽という豪華なもので、毎年バッハの「マニフィカート」やヘンデルの「メサイヤ」など本格的な曲を演奏する。それは、クリスマスをゆっくり過ごせない切なさに勝る、楽しさがあった。
特にバッハのマフィカートを演奏した時は、非常に良い経験をしたのでとても記憶に残っている。この曲の第3曲「Quia respexit humilitatem(なぜなら卑しさにも目を留め下さったから)はオーボエ・ダ・モーレ奏者とソプラノ歌手だけが掛け合いをする曲で、大変な曲なのだが、オーボエ・ダ・モーレ奏者として演奏し終えた時は、とても充実と満足感が残っていた。

演奏の興奮が冷めやらぬうちに、重たい楽器を背負って帰路に着く。
寒い京都の夜の下、ほかほかと心は暖かい。京都から大阪までの、およそ1時間半の短い旅。大阪に着く頃にはほとんどの商業施設はもちろん、飲食店までも閉店の準備が始まっているし、駅では別れを惜しむ恋人たちが人目も気にせずいちゃついている。
ふわふわと音楽の余韻に浸っていた私は、そこで一気に現実に引き戻される。
今年の年末も、忙しかった。明日からはようやく年末年始の休暇が始まるけれども、明日きっと溜まりに溜まった緊張と疲労が解き放たれて、一日寝込むだろう。
大学時代のクリスマスは、ずっとそんな感じだった。

普通が今の私にとっては憧れ。いつか素敵なクリスマスの思い出を

大学を卒業してからも、恋人ができることがなかったし、幸いにも演奏のお仕事をいただくこともあったので、特に楽しい思い出はできなかった。
今年のクリスマスは、一体どうなるだろうか。今年の下半期は婚活を頑張ってしていたけれど、好きになる人には出会えなかったし、今年は演奏のお仕事もない。スケジュール帳は真っ白である。
できるならば、好きな人と一緒に美味しいご飯を食べて、駅で別れを惜しんでイチャイチャしてみたいものである。そんな普通のことが、今の私にとってたまらないほど羨ましい憧れなのである。
今年は、もう無理かもしれないけれど、来年や再来年には誰か好きな特別な人と、素敵なクリスマスの思い出を作ってみたい。