「行けたら行くわ」
夜中の3時。もう来ないのは分かっている。だけど数パーセントの可能性に賭けて、私はパジャマからワンピースに着替え、化粧をする。
うとうとしかけるが、スマホが震えた気がした。
気のせいだった。
こんなことを朝まで繰り返している。

大学4年の冬に出会った彼。付き合っているかいないか分からない

大学4年の冬。
卒業旅行の資金を貯めるために始めたアルバイト。
そこで声を掛けてきた彼と、すぐに親しい関係になった。
毎日LINEをした。
用もないのにしょっちゅう電話をかけてきた。
「何してる?」
スマホ画面に表示されたいつものメッセージを見る度、胸が高鳴った。

あっという間に私の生活の中心は彼になった。
大学にいても「今から会おうや」と誘い出され、授業を抜け出した。
寝ていても起こされ、長電話に付き合わされる。
自分勝手で気分屋で、腹が立つこともいっぱいあった。
だけど楽しかった。
付き合っているか付き合っていないかは分からない。
怖くて聞けなかった。
年齢も、住んでいる場所も知らない。
本名すら知らない。
だけどそれでもよかった。
彼も私のことが好きだろうという自信があったから。
何も聞かなくても、何も伝えなくても、私たちはお互いのことが好きだ。
そう思っていた。

春。
私は大学を卒業した。
社会人1日目の朝、「今日からやな。頑張れ!」とLINEをくれた。
いつも自分勝手でそっけない彼が「頑張れ」なんてメッセージをくれるのは初めてで、嬉しかった。
仕事は想像以上に忙しかったけど、彼のことは片時も忘れることはなかった。

連絡は少しずつ減り、「今から行くわ」が「行けたら行くわ」に

夏。仕事にも慣れてきた。
その頃からだろうか。
彼から連絡が少しずつ来なくなった。
毎日途絶えなかったLINEが3日に1回になり、1週間に1回になり、最終的には1ヶ月に1回になった。
私はいつ彼からLINEが来ても、すぐ気づけるようにした。
通知音もバイブも最大にして、夜中いつ音が鳴っても、いつスマホが震えても起きられるようにした。
スマホが震えた気がした日には、もしかしてと期待をし、朝まで眠れなかった。
どんなに寂しくても、私からは絶対に連絡しない。
「会いたい」なんて口が裂けても言わない。

1ヶ月に1回だけ突然連絡が来る。
「元気?」とか「最近どう?」なんて言葉は一切ない。
「今から行くわ」とか「〇時にホテル集合な」とかそんなメッセージばかり。
それでも嬉しかった。
この日のために生きてきたと言えるほど、彼に会いたくてたまらない日々を過ごしてきたのだから。
久々に会ったら会話もなく、ただ体を重ねる。
明け方になると彼はそそくさと帰って行く。
1ヶ月間ずっと彼のことを考えて待ち続けていたのに、久々の再会はなんともあっけなかった。

秋。
彼からのLINEは、「今から行くわ」が「行けたら行くわ」になっていった。
「行けたら行く」の日は大抵来ない。
とびきりのオシャレをして、スマホを握りしめて眠らずに待っているのに。
会っていないのに、私の気持ちだけはどんどん大きくなっていく。
寂しさと不安と好きな気持ちがぐちゃぐちゃに入り交じって限界だった。

携帯の画面には、知らない女とのやりとり。本当は分かってた

ある日、彼にいつものように乱暴に抱かれた。
すやすや寝ている彼で、私はこのまま朝が来ないでほしいと願い、眠れなかった。
その時、彼のスマホが震えた。

「今からローソンに迎えに来て」

呼吸が止まり、背筋が凍りついた。
寝ている彼の手を取り、スマホのロックを解除した。

「今何してる?」
「付き合って」
「好きやで」
「今から行くわ」

私の知らない女に送っていた。
なんだ、やっぱり。
本当は分かってたよ。
思ったより冷静だった。

彼を起こして、「お幸せに」とだけ言って帰った。
私の方が先に部屋を出るのは初めてだった。

私にはくれなかった言葉を、ほかの女には言うんだね。
画面の中の彼は、私の知っている人じゃなかった。

車に乗って、初めて涙が出た。
彼と知り合ってもうすぐ1年だった。
いろんなことが変わっても、お互いの気持ちはずっと変わらないままだと信じていた。
あの女の子は「迎えに来て」ってちゃんと自分の思いを伝えてた。
私にはできなかったこと。
私も彼と普通に会話をして、普通にデートがしてみたかった。
後悔と悔しさと怒りと切なさで心がかき乱された。

私はより一層仕事に没頭した。
平日は忘れられるけど、休みになったら思い出してしまう。
心の隙間を埋めるように、毎週のように初対面の男に体を許し、遊びまくった。

スマホを握りしめる夜。震えた気がしたけど気のせいだった

冬を越え、春がやってきた。
ある夜、スマホが震えた。
「何してる?」
久しぶりに見るメッセージに凍りついた。
少しだけ喜んでいる自分もいた。
もう二度と会わないつもりだったけど、その思いとは裏腹に、
「今、家。」
と返事をしてしまった。
何事も無かったかのように彼が来た。
あまりに変わってなさすぎて、なにも無かったんだと錯覚してしまった。
彼にも腹が立ったが、いつまでも変われない自分に1番腹が立った。

あれから3年が経つ。
私は仕事を退職し、地元を出た。
あれ以来、彼には会っていない。
だけど時々思い出す。
あの人が乗っていたのと同じ車を見た時。
あの人と泊まったホテルの有線で流れていた曲を聴いた時。
あの場所に、あの時間に、あの瞬間に急に引き戻される。

夜中、スマホが震えた。
気のせいだった。
もうスマホを握りしめて寝なくていい。
もうパジャマからワンピースに急いで着替えなくていい。
もうあんな思いしなくていい。
だけど、ちょっとだけ寂しい。
ありえないけど。
絶対にありえないけど。
もしかしたら、と数パーセントの可能性に賭けて、スマホを握りしめる。
私は今日も眠れない。