「さなぎ、やばいよ、テレビ見て」
LINEでくだらない会話をしていた友人から、突然送られてきたメッセージ。
心がざわつく。TVを付ける。画面上部に書かれる白抜きの文字。
思考停止。
震えるスマホ。
届いたメールのタイトルは「大切なお知らせ」。
固まる身体。
この日、私の推しが活動休止を発表した。
一昨年末で活動休止した、あの5人組だ。
その日は夜勤前で、昼寝から目覚めた数分後のことだった。昼寝の続きの夢であれ、と願ったが、残念ながら現実だった。
部屋に響く、速報を伝えるアナウンサーの声。
私の口から発せられたのは
「……え、無理。無理無理。いや、無理。無理無理無理無理」
無理、としか言えない口になってしまった。
数時間後に迫る夜勤、こんなときに働いてる場合じゃない。無理。
いや、それだけでなく。
周年を祝う大規模ライブツアーを発表したばかりじゃないか。どんな顔をして会いに行けばいい?無理無理。
いやいや、それだけじゃない!
私の人生、推しがあってこそだと信じて疑わなかった。
働く理由は推し。なんなら恋人より推し優先。
辛いことがあっても推しのことを考えればすぐ笑顔になれる。
推しを通して出会った友人もいる。「周年ライブ、こんなにやってくれるなら、今からファンクラブ入る。一緒に行きたい」と、つい前日に言ってくれた友人もいるのだ。
人生最大の絶望を与えたのも推し。絶望の淵から救ってくれたのも推し
人生最大の絶望だ、と思った。
しかし、推しによって立たされた絶望の淵から救ってくれたのは、他でもない、推しだった。
頭が真っ白のまま着替え、味のしない夕食を無理やり詰め込み、仕事に向かおうと車に乗った。
エンジンをかけてすぐ、条件反射で、車に繋いでいるウォークマンの再生ボタンを押した。流れてきたイントロに、また身体が固まる。
私は当時推しの音楽を全曲シャッフル設定にして、常に車内で流していた。いつどの曲が流れてくるか分からない。
その日その時、ウォークマンが選んだ曲。
大切な人との別れは寂しいけれど、前向きにそれぞれの道を歩んでいけば、いつか笑顔で再会できる、というメッセージが込められた、彼らの名曲だったのだ。
涙が頬を伝った。
ただの偶然とは思えなかった。
これは間違いなく彼らからのメッセージだ。
1音1音噛み締めるように。一言一句聴き逃さぬように。
出勤時間ぎりぎりだったが、今の私には、このメッセージを受け取る義務があると思い、家の駐車場で1曲聴き終えた。
推しとの最後の日々を経て、今は推しとの再会を待つ
推しは一生、って誰かが言っていた。そうだ、と思っていた。
推しは推せる時に推せ、とも言っていた。本当だ、と思った。
別れはどんな形でもいつか必ず訪れる。今くよくよと落ち込んで顔を下に向けていたら、推しの姿が見られない。涙が零れても前だけは向いていよう。今この瞬間の推しを目に焼き付けよう。そう決意した。
目を腫らして出勤し、同僚を心配させたのは言うまでもない。しかし、私が彼らを推していることは同僚たちもよく知っていたので、めちゃくちゃ同情された。「全員安全に朝を迎えられたらOKってことにしよう」と言ってもらい、残り僅かな精神力を使って何とか乗り切った。
途中の休憩時間、ニュースを見ようと思えば見られた。でも見てしまったら仕事に戻れない気がした。彼らが笑顔で会見を行った、という情報だけ目にし、それならよかった、と自分に言い聞かせてスマホを閉じた。
それから約2年。推しからの供給をたくさん受け取り、本当に幸せな時間を過ごした。運にも恵まれ、前述のファンクラブ入りたての友人と周年ライブに参戦できた。他のイベントにも参加できた。コロナ禍のため、彼らも思うように活動できなかったとは思うが、それでも私達の想像を超えるものを常に与えてくれたから、最後の最後までわくわくが止まらなかった。
推しを知らなければ、あんな絶望を味わうことはなかっただろう。しかし、推しを知ったからこそ、絶望を超える大きな幸せを味わうことができた。
推しよ、ありがとう。
それぞれの道を歩んだ先で、またいつか再会できますように。
そう願う私の車の中では、今も彼らの音楽が鳴り響いている。