イケメン好きで古風な私は、恋愛の先に結婚があり、純愛を求めていた

私はこの人生、大恋愛すると思ってたし、したかった。勉強に全く興味がなく、学校には好きな人がいたから通えた。初恋の人と学校が異なり、好きな人ができなかった高校時代は、青春真っ盛りの友人たちと違い余計に楽しくなかった。

幼少期から面食いだった。美しくかっこいい男の人が昔から大好きで、イケメンが放つオーラはそうでない人と一味違うなと感じていた。
その割に私の恋愛観は古風で、付き合う人と結婚したいと思っていた。恋愛の先に結婚があったし、そのくらいの純愛を求めていた。

イケメン好きで古風な私は結局、大学を卒業するまで人と付き合うことはなかった。
イケメンは私にとって目の保養で、失礼だが美術品と同じ娯楽であるとわかったのは、主人と付き合ってからのことだった。

イケメンではないものの、結婚するなら彼みたいな人と

主人は中2の終わりに通っていた塾で出会った。男友達は彼が初めてで、自分の哲学を言い合える数少ない親友だった。
イケメンと恋することに恋焦がれていた当時は、結婚するなら彼みたいなタイプだなと頭ではわかっていたものの、失礼ながらイケメンではない彼との恋愛は全く考えてなかった。

彼との友情は大学卒業まで続き、その間に彼から2度も告白を受けた。
頭もよくて、自分を理解してくれ、意見もしあえる数少ない人。さらに学生時代から教員を目指している彼は、私をとても愛してくれる上に安定していて、私の夫になるには申し分ないほど適している人だった。
なのに私はそれを蹴ってでも、恋に落ちた人と一度でもいいから恋愛をしたかった。

結局、私は彼の愛を受けた。年を重ねるにつれ心と頭の理解に差が広がり、恋愛の延長に結婚があるなら、最初から夫にしたい人を彼氏に選ぶべきだったと、彼と付き合ってからようやくわかった。
彼の長年に渡る私への愛もあったし、夫にするならこの人だと昔から思っていたため、結婚を覚悟してから付き合い始めた。

恋に恋していた自分は、曲を聴くにも音楽を楽しむのではなく、その歌詞や曲調から生まれる妄想で曲を楽しむ人間だったため、付き合いはじめの頃は「もう夢を描いても、いずれ彼と結婚するんだから」と、軽いショックがあった。妄想してもそれは無駄なんだと思うと、かっこよくない彼とこれから付き合っていけるのか、キスやセックスはできるのだろうかなど不安があった。
しかし、彼の愛は純朴でとても素敵なものだった。目を見て心を込めて好きと言ってくれ、すべてが私を思っての言動だった。驚くほどの愛情にだんだん彼が愛おしく思えるようになり、今では心から彼を愛している。

彼と付き合うことで、お金の使い方も楽しむ姿勢も変わった

彼と付き合い、私の価値観は確実に変わった。
金銭面では、お金をケチケチ使っていた私に対し、「お金は使うためにあるんだよ」と教えてくれた。その人が笑顔になるんだったら金額はあまり気にしない、という彼の素敵な使い方は、私の心にとても響いた。
また使うときはちゃんと使い、今だけを見るんじゃなくて将来的にも有効ならちょっと高くても買うこと。その方が結果的に割安だったりする。計算も早くなった。グラムで安さを判断したりと、見た目ではなく確実に数字を見るようになった。

楽しむ幅も広がった。彼は何に対しても好奇心があり視界も広く、これは彼を育てた彼のお母さんもそうだった。ただただ道を走っていてもどこになにがあったか鮮明に覚えているし、「あの道の花がきれいだよね」と細かいところまで物を見ていた。
私も普段同じ道を通っているのに、得ている情報量がまるで違った。2人の観察眼は「あそこにあんなお店あったっけ?」とドライブ中の話題にもなり、話の途切れない彼らに自然とついていくと、以前と違って私もまわりをよく見るようになったし、好奇心が湧いてきた。楽しむ姿勢のおかげで結構視野が広がったと思う。

愛情深い「お母さん」とも出会い、彼と結婚して本当に良かった

彼と付き合い、結婚を考えるようになると彼の母親との付き合いも始まった。
姑問題は結婚につきものと覚悟して挑んだが、愛情深い彼のお母さんもまた愛があり、懐の深い人だった。また驚くほどポジティブで、一緒にいるだけで私も明るくなった。
今では実の子以上に一緒に出かけ、「お母さん」と呼んでいる。第二の母親だと心から思っているし、彼と結婚してますます良かったと思っている。

実家を離れ、愛してくれる人と毎日楽しく暮らし、ポジティブな人と関わる。どんどん変わっていく自分に当初は戸惑った。
美味しいものを食べるたびに弟に食べさせたいと思ったし、こんなに幸せになって母親に申し訳ないとよく思っていたが、私が笑顔でいるだけで家族はとても安心し、心配が減ったと安堵していたためこれでいいんだと思えた。

主人の愛で私は変わった。自己肯定のために必死に生きる必要がなくなり、生きることに対して肩の力が抜けた。今、第二の人生を歩いている感じがする。時々同世代と比べてへこむこともあるが、私はこれでいいし、鬱な過去も今の私には必要だったと思っている。もう30歳近い年齢で出遅れた感が否めないが、これからももっと楽しんで生きていきたい。