暗い私は、世間一般的な「愛される形ではない」女の子
私は誰にも求められない、不要な人間なのだ。そう思うことが頻繁にあった。
いわゆるモテたり、クラスの中心になったりしない女の子だったからかもしれないし、親と仲が良くなかったからかもしれない。けれども、物心着いた頃にはもうすでに自然とそうなっていた。
私なんかが誰かに、何かに、無条件に愛されることは不可能なのだと。
そういう「無条件に愛されている人」は無邪気で、可憐で、女の子らしくて、可愛い。お姫様や、聖女みたいな、そういう完璧な女というものが当てはまるものだと。私はそんな完璧な女からは遠く離れた存在だ。
捻くれていて、ませた子供だった。
女子が連れ立ってトイレにいく行為も、「なかよし」というよりは、犬が電柱にマーキングするのと似ていると今でも思っているし。男の子に「わかんない」「すごーい」を連発する子は目立ちたがり屋だと失望した。おまけに、教師や大人に言われる「大人びているね」という言葉に含まれる「可愛げがない」という揶揄も分かっていた。
そういう捻くれて、可愛げがなくて、暗い女の子は世間一般的な「愛される形ではない」のだ。
それがいつだって怖かった。実は今でも怖い。
こんなにも純真なのに。誰にも愛されない恐怖に苛まれた
恋人や身も心も預けられる友人がいなかった学生の頃、私はほとんど毎晩、その恐怖に苛まれた。
誰にも愛されない。今後一生誰にも大切にしてもらえない。愛してもらえない、触れてもらえない。
こんなに柔らかくして白くて、純真なのに。それを誰にも知られず、ひっそりと自分を抱き抱えて死ぬことが、何よりも怖かった。
きっと学生時代、誰よりもマーキングがしたかったのは私だ。男の子に媚を売りたかったのも、大人の前で可愛いふりをしたかったのも。
誰かの特別になれない、地味で、根暗で、恋人も友達も、家族とも仲良くない、そんな自分を自覚する度に「自分は愛される形ではない」ということを実感する。
じゃあ、どうしたら今のこの歪な形から、丸くてやわらかなあの「愛される形」になれるの?整形したらいいの?性格を変えたらいいの?私じゃなくなればいいの?
そんな途方もない疑問が溢れて、夜が冷たかった。このままひっそり夜の片隅に溶けて、消えてしまうんじゃないか。何より怖いのは、たとえ本当にそうなったとしても「きっと誰も本当の意味で悲しんでくれない」と分かっていた。
私がいなくても公転を続ける世界。それが何よりも恐ろしくて憎らしくて、大嫌いだった。
愛されない私を私が愛す、ではなく、誰かに愛されたい
さて、いまその時期から幾分か時間が経ち、漠然とした「愛されないこと」の不安感は昔ほど強くない。長い間付き合っている恋人が幾人かできたからかもしれないし、上京し、青すぎる大海を知ったからかもしれない。
そこで「愛されない自分ごと私が愛すもん」ときっぱり言えないところが、私らしさだ。万人ウケする姿になりたいのに、なりたくなくて、このままでは愛されないと分かっているのに、このままで愛して欲しいのだ。愛されない私ごと私が愛す、じゃなくて、やっぱりそこはどうしたって「誰か」に愛されたい。
なので、このエッセイは別に「私はこうやって自分を愛せるようになったよ!」という励ましのものではない。私だってまだわからん。だから、いま愛されない夜に震えている人がいるなら大丈夫だよ、と言いたい。
そんなもんだよ。寒いよね。愛されたいよね。私も愛されたいよ。いつか、きっと来るよ。愛されない自分が、許せる日。