「#記念日デート」「#いつもありがとう」に込められた本当の理由
今日も、ラグジュアリーな高級ホテルをタグ付けして、高層階からの夜景を背景に、バラの花束と4℃のプレゼントボックスとシャンパングラスが写る写真をInstagramに投稿する。
「#記念日デート」といっても、1年記念日ではなく、まだ3か月記念日なのだ。
相手の良い面しか見えていない、良い面しか見たくない、ただ好きでたまらなくて、授業だって仕事だってずる休みして、会いに行ってしまう、ただ恋に溺れる最初の3か月間。
20代前半のキラキラした時期に、お互いを疑うことなく、付き合っていられることが、その3か月間を幸せに過ごせることが、奇跡なのかもしれない。
丸の内の外資系ホテルの、大学生の1か月のバイト代くらいの高級ディナーコースを背伸びして予約して、張り切っていたのが20代前半の恋愛。
「いつもより背伸びして記念日を彼氏と祝いたい、彼氏に祝ってほしい」という気持ちは、本当に彼氏のことが好きだからなのか。
それとも「私たちってラブラブ」ということをSNSで自慢したいだけなのか。
もしくは、別れることが怖いから、記念日を盛大に祝って、恋人雰囲気を満喫することで恋人をつなぎとめておこうとするのか。
どんな理由だろう。
うわべだけの女子会。恋バナばかり話す現場で誰も本音は言わない
20代前半の女の子が数人集まると、話す話題は、「最近彼氏とどう?」「なかなか出会いがなくって」という恋バナ、「この前インスタにあげた記念日の写真見たよ~」「そうそう、彼氏が予約してくれたの!」という分かり切った自慢話、そして、「会社の先輩が結婚してすごく幸せそう」「私たちも20代後半には結婚したいよね」というシリアスな将来の話。
そこには、「最近“彼女”ができた」とカミングアウトする選択肢はもちろんなく、「結婚なんて何の意味があるの?自分の人生を犠牲にして、デメリットの方が多いと思うんだけど」と言って世の中の女性の半数は夢見るであろう「ザ 幸せな結婚生活」のイメージを壊すこともできない。
「28歳で結婚するとして、結婚相手とは最低2年は付き合いたいから、そうすると25~26歳には良い相手を見つけなきゃ」と焦りの気持ちが出てくる。
「年齢はただの数字」
だけど、女性にとって、「子供を生める」という生殖機能には時間的な制限があり、「結婚しない」「子供は生まない」と決めることは、「子孫を残す」という女性としてのポテンシャルを捨ててよいのかと迷ってしまう。
ワーキングママの姉の姿を見ると「なりたくない」と思ってしまう
私は、子供がとても好きで、世話好きな性格であったから、学生時代は、子供と関わるアルバイトばかりしていた。
ただ、家事育児と仕事に奮闘する、いわゆる「ワーキングママ」の姉の姿を見ると、「こんな人にはなりたくない」と正直思ってしまう。
そもそも「出産後職場復帰する女性」だけを「ワーキングママ」と言い、専業主婦は「ワーキングママ」ではないのか、と疑問提起してしまう。
子育ても家事も、労働であることに変わりはないのに、「家族のためだから」の飾り言葉でごまかされてしまう。
姉は、子供が生まれてから、ゆっくり焼肉に行ったこともなければ、独身時代に行っていた、銀座や表参道のおしゃれなレストランでのランチコースさえ行っていない。
自分の服よりも子供のかわいい服を買うことが大好きだし、好きだったハリーポッター関連の映画さえ、映画館では見ていない。
彼女は今では、ヒールではなくペタンコ靴で、レーススカートではなくストレッチ素材のオフィス用パンツで、仕事に向かう。
「子供が生まれても生活は変えたくない」と思うのはわがままなのか
他方、独身、20代前半の私は、海が見える逗子のレストランで夕暮れを見ながら彼氏とディナーをしたり、「この服、彼氏が好きだろうな」と思いながらショッピングする。
「子供が生まれても、相変わらずおしゃれなレストランで美味しいご飯を食べたいし、ハイヒールでおしゃれもしたい」と思うのは、母親失格なのだろうか。
「子供の面倒も見ずに……」自分勝手な母親だと、言われてしまうのだろう。
3か月一緒にいるだけで、盛大に記念日を祝っていたのに、結婚したり、子供が生まれると、毎年の「〇年記念日」でさえ、祝うことを忘れてしまい、「あっ、そういえば昨日記念日だった、忘れてた」という会話が繰り返され、「高級ホテルディナーに酔いしれていた」女の子は、「結婚する前はそんなことなかったのに」と、落差に落胆する。
「いつか別れるかもしれないけど」という覚悟のもと、記念日は毎月や半年ごとに祝わなくても、背伸びして高級ディナーを予約しなくても、良い関係性ができているのが一番いい。
「そういえばもう〇年も一緒にいるね、ありがとう」と言いながら食べる、少しだけおしゃれなレストランでの、4000円のランチコースほど、幸せな時間はない。
どれだけ長く一緒にいるのかではなく、どれだけ多くの幸せを分かち合えたかが大事なのだ。