日本生まれで両親も日本人だが、「ハーフ?」とよく聞かれる

「かおりんって、ハーフ?」
メイクを始めて人との出会いが増えた大学生以降、現在に至るまで、初対面の人によく言われる言葉だ。

私は、彫りが深い顔立ちで、身長も平均より少し高め、メイクもどちらかというと、濃いめ。
アイライナーばっちりで、アイシャドウもグラデーションをしっかりつけたい。
好きなコスメブランドは、海外ブランドが多く、絵の具のように鮮やかなアイシャドウパレットが欲しいと思う20代前半の女の子。
愛用中のアパレルブランドは、ヨーロッパ発祥。ビビットな色合いや大きな花柄の服がお気に入り。
ノースリーブやスリットの入った服だって、着るのは全く恥ずかしくない。

私は日本生まれ日本育ちで、両親が外国人というわけではない。
姉の影響で、初めて映画館で見た映画が、ハリーポッターの字幕版。
「何一つ理解できなかったけど、イギリス英語ってかっこいい」と思い、姉が聴く洋楽を一緒に聴いて、海外ドラマを見て育った。
留学生や海外在住経験者が多いグローバルな大学に通い、NOならNOと言い切れるようになった。

恋愛においては、か弱い女の子でいることが苦手。
男性とデートに行くと、奢ってもらえることは嬉しいけれど、私もちゃんと支払うことで対等に扱われたいと思う。
記念日のたびに、高級ディナーをして、彼が「とりあえずバラで」と花屋に頼んだ1万円の花束を贈られるよりも、彼が花を見ながら「赤いガーベラと、この花と、あとかすみ草は必ず入れてもらえますか」と、私のことを想いながら、花屋に頼んで作ってもらった3000円の花束の方が、嬉しい。
誰もが羨ましいと思う着飾ったカップルでいることよりも、私が買った美味しいパンとコーヒーを持って、川辺の河川敷で、ピクニックをすることの方が、幸せだ。

わざと「海外らしく」していたわけではないけれど、たしかに「量産型女子大学生」ではなかった。

「かおりんって、ハーフだと思ってた」
その言葉は、最初はとても嬉しかった。ハーフ=美人という価値観に基づいて、褒め言葉として言ってくれているとわかっていたから。
いつからか、「日本人らしくないメイク、服装、顔立ち、態度、価値観」だから「ハーフ」だと思われるのでは?と疑問が思い浮かんだ。
もちろん、「美人だから」という理由で、「ハーフだと思った」と褒めてくれていることは分かっている。

女性は「日本人の女の子らしさ」を押し付けられている気がする

日本人の女の子らしいって何だろう。
白のレーススカートに、リボンのついたブラウスを着て、ふわっとカールのかかったセミロングヘア。
男性を褒める「さしすせそ」を多用しながら、嬉しいときには「わぁ」と喜び、ニコニコしながら「ありがとう」と言うこと。
男性が守ってあげたいと思う、か弱い女の子でいること。
仕事の話に対しては、「うんうん」と頷き、たとえ知っているニュースの話や政治の話であっても、「〇〇君、物知りだね、すごいなぁ」と褒める。

「女性らしく」と言われるたびに噛み付いた。自分の声を大事にしたい

比較的早口で、嫌なら嫌だとしっかり言う、サバサバした性格の私に対して、父はよく「もっと女性らしく、ゆっくり話しなさい」と言った。
身長がどんどん伸びていく私に対して「そんなに身長が高くなったら、結婚相手が見つからないよ、困るねぇ」と言った。

まだ学生だった私は、「女性らしく話すって、何。甘い声でゆっくり話すってこと?」と、噛み付いた。
「バレーボール選手だって、結婚できてるよ。女の方が身長が高い夫婦の何が悪い」と言い返した。

異性から求められる、可愛い一途な女の子でいること。
家族から求められる、孫を産む良い娘でいること。
社会から求められる、適度に仕事ができて、結婚、出産し、子育てをしながら仕事も続け、社会に貢献する女性でいること。
他者から求められる、日本人の女の子としてのあり方に、疲れてしまった。

だから、私のしたいように、メイクをしておしゃれをして、私の生きたいように、生きたいと思った。
「日本人っぽいか」「日本人っぽくないか」が大切なのではなく、一人ひとりが「自分らしいな」と感じながら生きること。
「女性らしい」「男性らしい」ではなく、「あなたらしいね」と他者を褒められる習慣を身につけること。
「他者にどう思われるか」ではなく、「私がどうしたいか」が大切であって、「自分の声」を見失わずに生きたいと思う、今日この頃。