ヘアアイロン、色つきリップ、そして、美白効果のある日焼け止め。これらは、高校時代の私にとって三種の神器であった。
毎日毎日、緩く巻いた髪とほんのり色付いた唇で学校に向かった。そして、その装いをすること全て校則違反であった。しかし、私は誰に何と言われようと髪を巻き肌を整え、唇を彩った。
どうして私はそこまでして校則を破り続けたのか。今振り返れば、きっとそれらの行動の原動力は「怒り」であった。
教師が児童生徒の外見を批評する「容姿品評会」
私が小中高と学生時代を振り返る中で、腹立たしかったことの一つに、教員の生徒に対する「容姿品評会」がある。単刀直入に言えば、教員が児童生徒の外見について褒めたり貶したりしているということである。
偏見だが、特に中学と高校に勤める教員は、容姿品評会の頻度が多く、内容がグロテスクになる傾向がある。容姿品評会に参加する先生方には、子どもたちと公平に接する聖職の影は微塵もない。教員と言えど、所詮欲望で動くただの人間だ。そして、その生々しい会話は時たま職員室の壁を越えて子どもたちの耳に入ることがある。
私も先生方の声が耳に入ったことがある。直接、お聞きしたこともある。
その時、私は外見を褒められていた。このご時世、賛否両論あるが、私は容姿を褒められても悪い気はしない。むしろ、とても嬉しくなった。
その褒め言葉は、褒め言葉の対象である子どものみに向けられたものであると良い。しかし、その褒め言葉が第三者の子どもに漏れてしまった場合はどうなるか。外見を褒められた次の日に、私はいつもつるんでいたグループのメンバーに仲間はずれにされてしまった。
「たぬきちゃんは可愛いって先生たちに言われていて、調子に乗っている」だそうだ。
この時、先生の褒め言葉を私だけが聞いていたらこういう事にならなかったのにと、複雑な気持ちになった。
揉め事になるきっかけのほとんどは、教員のセクハラ発言や悪口
しかし、褒め言葉は場所と言い回しに気をつければ、揉め事は滅多に起こらないと思う。褒められたら嬉しい人も多いのではないかと思う。揉め事になるきっかけのほとんどは、教員のセクハラ発言や悪口だ。
特に高校生の時、教員同士の会話で「〇〇さんは胸が大きい」「〇〇さんは足がムチムチ」という言葉をよく聞いた。また、それ以上に「あいつはブス」「あのデブの子」という言葉も残念ながらよく耳にした。中でも一部の教員は、「クラスで美人・イケメンとされている子には優しくするけど、そうではない子には冷たい」を徹底していた。
特に、体育教師がスクールカースト上位のギャルの容姿を持ち上げている場面は、あまりにも露骨過ぎて、回り回ってネタにされていた。体育教官室でそのギャルを膝の上に乗せて談笑していた噂が流れてきた時は、さすがに気持ち悪すぎて笑えなくなったが。
もちろん、教員の中には見た目で人を判断せず、容姿をバカにしない人はいらっしゃる。しかし、残念ながら外見に対して失礼な対応をする教師は一定数存在している。
「ブス」と言われないように「武装」しなければいけない
学生生活を送っていく上で、教員からの容姿品評会は残念ながら避けられない。褒める先生方ばかりだったら平和だが、中には平気で生徒の見た目を貶す人も一定数いる。だから、私は一番自分が自信を持って人前に出られる状態、自分が守られている状態で登校し続けた。
人権の欠片もない悪口を私たちに浴びせるくせに、私たちは校則に縛られて身動きも取れない。
ふざけるな。あなたたちに「ブス」と言われないために綺麗にし続けることの何が悪いのか。教員が容姿品評会を辞めない限り、私は武装しなければいけない。
小中高問わず教育現場では引き続き、子どもの容姿品評会の文化が続いている。可愛い子、イケメンな子、そうでない子と区別する教師、また、ニヤケ面、太った子、肌の汚い子、とコンプレックスをえぐる言い方をするような教師はまだまだ多くいらっしゃる。
教育実習中、実習生が生徒にセクハラ発言をしても黙認されている現状。おそらく、教育界全体がそういう風潮なのだろうか。
そして、外見で人を選別するくせに、子どもたちを校則で縛り、コンプレックスを隠し続けることを決して許さない。校則を守れという前に、まずは教員の子どもに対する容姿品評会を辞めるべきではないだろうか。
容姿品評会をしたいなら、容姿に対する校則をなくせばいい
極論だが、仮にどうしても容姿品評会をしたいならば、容姿に対する校則は全てなくなってしまえば良いと思う。子どもたちが最も自分らしく輝ける姿で通える状態にすれば良い。
校則をなくす話題が出たら、「校則は、貧富の差から出てくる子どもの装いの差をなくすため」と答える先生が多いが、その校則があっても装いの差に言及してる先生が多いのだから、有るなしではそこまで変わらないのではないだろうか。
先生方が子どもの外見の悪口を言わなければ済むことだ。ただ、このように私がうだうだ言っても、簡単に学校は変わらないだろうから、巻き髪と日焼け止め、リップでささやかな抵抗をし続けた。
教員が子どもを平気で傷つける容姿品評会の文化が、後世に受け継がれないことを願っている。