最近の音楽番組は、過去のヒットメドレーとか、昭和から平成にかけて流行った名曲ランキングとか、「過去の名曲」に縛られている印象を受ける。
昭和歌謡が令和の時代に改めて評価されているというのならそれは良いことだが、どちらかと言うと、とりあえず昔流行った曲を流して尺を稼ごうとしているような気がしてならない。きっと、番組を制作しているおじさん達が見たいものなんだろう。
過去曲を放送する時間があるのなら、その日のゲストアーティストに、各組数曲ずつパフォーマンスさせてあげればいいのにと、常々思いながら私はチャンネルを変える。
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その日の特番では、平成初期に人気だった音楽番組の映像が放送されていた。長椅子に隙間なく出演者が座ってトークを繰り広げている。
近い、と思った。ソーシャルディスタンスに慣れてしまったこともあるのだろうか。いや、そうでなくとも、隣に座る人との距離が近かった。男性が女性の肩を抱いたり、下ネタや口説くようなことを言ったり。
「セクハラじゃん。これだからバブル世代のおじさん達は」
これが平成生まれ女の率直な感想である。
女性に対してのボディタッチや、セクシャルな話題を持ちかけることは、現代ではセクシャルハラスメントと称されている。しかし、あの華やかな時代を生き抜いたおじさん達にとって、当時それらは単なるコミュニケーションツールであり、一種のステータスのようなものだったのかもしれない。
おそらくそれこそが「イケてるメンズ」だったのだ。
ルーズソックスが消えゆこうとする頃、高校生だった私達は、制服は着崩すのが当たり前だった。女子はスカートのウエスト部分を何回も折り曲げてミニスカートにしたし、男子はズボンをパンツが見えるくらい下げて腰で履いた。
反抗してこそかっこいい、といった時代だった。
ところが令和にもなると、「制服を着崩す=ダサい」という風潮になっているようだ。スカートは膝丈、靴下はくるぶし丈。
なんで紺ソ履かないの?と言いたくなるけれど、どうやらそれが今なのだ。
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例えば我々が、当時の着崩すファッションを現代で再現したとしても、おそらく「ダサい」の一言で、鼻で笑われて終わりだろう。むしろ流行は巡り巡って、逆に新しいのかもしれない。
しかし、バブル期を生きたおじさん達は、今まで普通にしてきたことが、いつしか迷惑な嫌がらせ行為になってしまったのだ。
時代のせいにするのは見苦しいが、今までの自分を否定された彼らにとって、現代はさぞ生きづらかろうと、少しだけ同情してしまった。
そしてそれ以上に、現代ではセクハラに値する行為が日常茶飯事だった時代、当時の女性達は声をあげることも憚られ、まぁこんなもんかと諦めながら生きたのだ。彼女達の苦労、屈辱、絶望は計り知れない。
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なくならないセクハラや性犯罪。緊急避妊薬は薬局で買えないし、中絶手術には相手の同意が求められる。少子化対策として子供はたくさん産んでね、女性の賃金は上がらないけど。
それらの問題の根底にある家父長制、男尊女卑、女性軽視。
「そういう時代に育ってしまったからしょうがない」で済む話なんかでは決してない。
バブルおじさんが死滅するまで、もしくはその後も、この陳腐で深刻な問題は、この世界に蔓延り続けるのだろうか。
時代は変わる。否応なく時は流れていく。
昔を懐かしんで、あの頃はよかったと嘆きたくなる日もあるだろう。
しかし、これまで自分が作り上げてきた核は保ちながら、変わりゆく時代に柔軟に対応し、しなやかに生きてこそ「イケてる大人」なのではないだろうか。