「忘れたくないこと」と「忘れられないこと」は少し違う。
車イスで、点滴を打ちに病院に通う日々、友達ともあまり会えず、ほとんどを家で過ごしている私は、3年前の今頃はアメリカの大学にいた。
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美しい硝子細工のようなコバルトブルーの海、ゴツゴツ切り立った溶岩の崖、冷たくて塩からい微風と、ジリジリと肌をやく太陽の光。ラジオから流れる曲にあわせて、皆もはや歌うというより叫んでるような、賑やかな車の中。
ビーチサンダルとショートパンツに薄いTシャツ。
自分は幸せなんだと、感じずにはいられない。
そんな映画のワンシーンみたいな光景は、3年たったいまでも忘れられない事の一つだ。
毎日夢にみるほど。
忘れたくても忘れられない。
今はもう手に入らないもの。
ふとした拍子に思いだして、懐かしいような、悲しいような気持ちになる。
本当なら今でも、そうしていたかもしれないのだ。
そうはいっても、毎日遊び回っていたわけではない。
裏方の自分は、平日は夜遅くまで大量に出される学校の課題と奮闘していた。
はじめての授業では、出された課題のテーマさえ理解できずに、先輩に聞いて、なんとか、ちぐはぐな出来で提出した。
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疲れていても、毎日の自炊や洗濯はしないといけなくて、ひとり暮らしの大変さを痛感したし、風邪を引いて熱っぽさを感じながらも雨のなか、力をふりしぼって学校にテストを受けにいったこともあった。
しかし、そういう地味な思い出は、楽しいものに比べると忘れがちだ。
綺麗な海や飛沫をあげる滝を夢に見ることはあっても、米を炊いたり、宿題やプレゼンテーションの練習をしている自分なんて、夢には見ない。
そして、闘病中の今の自分は、はっきり言って「華やか」なんかとはほど遠い。
辛いことの方が多いくらいで、終わりの見えない闘いについ諦めたくなる。ある朝起きたら、3年前の自分に戻ってたりしないだろうかと、本気で考えたりしたこともあった。
夢の中で、砂浜で昼寝したり、冷たい海に飛び込んだり、そんなときは必ず、朝起きると夢だったことにがっかりするのだ。
私は比較的ストレスに強い方だとはおもうけれど、それでもやっぱり心の中では何度も諦めかけ、投げ出したくて、泣きわめいていた。
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私がまだ小学生くらいだったころ、ある学校の先生が言っていたのを覚えている。
「良い思い出や、楽しい思い出はいつまでも記憶に残る。恨みや辛い思い出は、本能的に忘れようとすることが多いから、日がたつにつれて薄れていくものだ」と。
確かに、ふとした拍子に思い浮かぶのは、楽しいひととき。青い海、濃いピンクのハイビスカス。表舞台の華やかな自分。忘れたくても忘れられない自分。
けれど、行き詰まったときや、自分に価値を見いだせなくなったとき、本当に力になるのは、自分が今までどれだけ頑張ってきたかという事ではないかと思うのだ。
自分はこんなに頑張ってきた、こんな辛いことに耐え抜いてきたんだ、と自覚することがこれからのエネルギーとなる。
それこそ、私が忘れたくないことなんじゃないかと思う。
私は、辛く、苦しくてもやりとげた地味な裏方の自分を忘れたくない。
それが、これから頑張る自分へのエールとなることを期待して。