運動ができずにきた人生。すべてがコンプレックスに繋がった

いちばん幼いころの運動の記憶は最悪だ。
保育園生のとき、室内で縄跳びを練習する機会があった。まわりの子どもたちが「やった!たくさん飛べた!」などと口々に喜ぶ中、私は縄を床にぺちんと打ちつけ、むんと黙ってとどまり続けるその上を小さく飛び越える。また縄をへにゃへにゃと床に打ち、なんなら置き、またジャンプ。

お分かりだろうか、この運動音痴っぷりを。
「雀百まで踊り忘れず」と言うように、小学校に上がってからもそれはまったく変わらなかった。50m走はさながら兎と亀の序盤のみを切り取ったかのようでいつも笑われ、きっとその嘲笑には肥満体型というのもあったのだろうが、運動ができない要素と外見的要素とは仲良く手を繋ぎ、お互いの価値を掛け合わせるかのように高めていくばかりだった。

出会いは去年の夏、腰痛を抱えてしまったことが始まり

動くことはなんとなく好きだった。だけど人前での運動は絶対に嫌だった。だからなにも動けなかった、動かなかった。
大人になれば自然と痩せるよと言われ続けて、なお変わらぬ肥えた体を抱えて早22歳、転機が訪れたのは去年の夏だった。

ずっと座りっぱなし、あるいはうつ伏せでいることの多かった私は腰を痛め、もしや坐骨神経痛では……?と携帯の画面に映った情報を見て目の前が暗くなった。
この歳で、この歳でそのようなものを抱えてしまうとは。いやそれより悪化したらまずい、私は気軽に病院をたずねられない事情があるのだから……。頭の中で言葉がぐるぐるしていた。

このままではだめだ。なんとか、なんとかしよう。家でできることをやろう。
そう考えれば次の行動が早いのは私の長所だった。
ネットで色々なストレッチを調べ、サイトを見て、いやしかしどうにもわかりづらくて困る、どんな動きをしているのかよくわからない。
次に思いついた先がなによりもよかった。現代っ子でよかったと感じた。
そう、今はYouTubeがあるのだ!

数十分試すだけでなめらかに動いた体。これが我が身なのかと驚いた

アプリでYouTubeを開き、色々と調べてみる。坐骨神経痛のストレッチそのものではあまり評判がいいのが見当たらないが、腰痛改善やそれに準ずるものを調べていくと、山ほど出てくる。なんならそれに影響された広告までがシニア向けのものに変わり、少し眉をひそめたが、しかし同じようにおすすめ機能も動いてくれる。

いくつか簡単そうなものを見繕って数十分試してみると、あらゆる筋がミシリ、骨がポキリ、愉快な音を立ててはしかし確実に伸びてゆく。夏の部屋の中でしっかり動いた体に感動して階段を降りると、不思議なほどなめらかにあちこちが動くようになったのだった。

それに感動し、続けること約1年ほど。いや嘘だ、続けてはいない。数日空けることはザラだったし、なんなら1週間単位でサボることもあった。しかしその経験は、私には継続しない方がよい方向に向くことを、身をもって教えてくれた。
それだけではない。いつだったか、確か去年の暮れごろか、いつものように開脚をして前に手をつくと、おや?とあることに気が付いた。
なんだかまだまだいける気がする、と思ったのを皮切りに(思いつけば行動が早いのはほんとうなのだ)さらにぐーっと倒れていくと、多少のきつさはあるが、なんと顔が床にべったりとつくのだ!

体を動かす楽しさを知った。そして人生の後押しになった

股関節の伸び、腰のすっきりする感覚、なによりあんなにも運動ができなかった自分が、柔軟性のみとはいえ、こんなにもできるようになったことが、感動だった。涙こそ出なかったものの、大袈裟ではない勇気と自信と達成感とでいっぱいだった。
腰痛こそ完治していないが、このことのおかげで私は体を動かすことの楽しさを知った。
その波はまったく違う所にも届き、何歳になってもやってみるとできるようになることがわかったおかげで、人より幾分か遅れて歩みを進めている人生に対する後押しにもなった。

私の母もあまり積極的に動く人ではないのだが、このことをきっかけにときどきストレッチをやってみるようにしたことで、睡眠が深くとれるようになったりとか、肩や腰が楽になったりなどの嬉しいことがあった。さらに話は続き、今度はその母のおかげで筋肉のつき方や働きに関する知識も身についたり、興味も出たりした。

私が運動不足だったことも、これで意味を得たのだろうか。あんなに苦しんだ過去も、これで救えたのだろうか。ふとしたときに、そんなふうに思うようになった。
もしかすると、今苦しんでいるたくさんのことも、こうして昇華される日が来るのかもしれない。それを目にするためにも健康に生きていきたい、そう心から思った。