今年も冬が来た。
私にとって苦手であり、愛しくもある季節。
どんよりとした鉛色の空が続く北陸の冬だけど、驚くほどに晴れる日もある。そんな日の朝は、放射冷却現象で零下になった外気と真っ白な雪に映える青い空が、なんだかこう、縮こまった私の背筋をピンと伸ばしてくれる気がする。すっと前を向ける。
きっとそんな日があるから、私にとって冬は愛しいのだ。

日本教育の流れの中で、冬といえば受験の季節だ。中学受験、高校受験、大学受験を経た自分にとっては緊張感の漂う季節に変わりない。

そんな受験生の思い出といえば、小学6年生のお正月、塾帰りに車中で聞いた“ミスチルのくるみ”。

当時家庭教師をしてくれていた大学生は“くるみ”を聞きながら“掌”の方が無骨で人間味があって好きだ、と言っていた-あれを聞くと、車から見た景色や匂い、生温い空気を鮮明に思い出す。当時お気に入りだったレースアップのスノーブーツも。

冬が近づくにつれて憂鬱だった学生時代。冬の静寂も早朝もすきだった

大学に入るまでは苦労した。
中学・高校時代は生活そのものが地獄だったし、浪人も経験した。冬が近づくにつれて憂鬱で仕方なく、誰がどう見ても陰鬱な人間だっただろう。
試験の当日はいつも雪が降っていた。塾やアパートの宣伝がてら見知らぬ誰かが会場で必ずくれる赤いキットカットとホッカイロ。
こんなにも暗くて寂しく冷たい季節に、どうして国は若者の未来を決めてしまうような試験をするのだろうと悪態をつきながら、東京で華やかな大学生活を送る同級生に嫉妬し、自分の将来が不安で仕方なかったあの頃が今では懐かしい。

大学生になって初めての年末、「今年は受験がない」と思った時、ほっとしたような、それでいて寂しいような・・そんな感覚がした。みんなが寝静まった後の静かなリビングで雪がしんしんと降る音を聞きながら勉強する感覚がすきだったのかもしれない。
そして、太陽が24時間を支配する割合が増えて春が徐々に近づくのを感じながら早起きして勉強をはじめる前に珈琲を淹れて温まるあの時間が実はたまらなくすきだったのだ。
人間はないものねだりだといつも思う。

人生すべてが地味でもいい。私にはやるべき仕事がある

あれから時は過ぎ、私もいわゆるアラサーになった。中高生の頃、思い描いていた自分とはまるで違う姿だ。
地元の進学校、地元の大学の医学部を卒業して、そのまま地元で医師として働き始めた私は東京で華々しい日々を送る同級生たちと比べるとひどく地味だし、生活もファッションも恋愛も。人生全てが地味だと自負している。
寮と病院を往復する毎日。常に何かに追われ忙しなく動き続け、気がつけば、また、冬がやって来る。

病院の駐車場に立つイチョウの木は四季を感じさせてくれる唯一の存在で、新緑から鮮やかな黄色へ、枯葉を数枚残してほとんど枝だけになった。幼い頃に読んだ葉っぱのフレディを思い出すなあなんて思いながら、いつも通り出勤する。

仕事柄か、当たり前の日常がいかに有難いことなのかを噛みしめるようになった。
家族と過ごす時間、美味しくご飯を食べる機能、身体を動かす自由、他にも多くを奪っていく病魔と向き合って過ごすうちに、自ずと生きる世界への感じ方や考え方が変化した。

青空の日も、どんよりとした鉛色の空の日も、私にはやるべき仕事がある。あの頃思い描いていた未来とは違っても、憧れた華やかな生活じゃなくてもいい。時間は平等に進んでいく。一瞬一瞬を本気で生きることが大切なのだ。
時に四季を感じて甘いチョコレートを食べて、幸せになれるなら、誰もが羨む華やかな生活なんて必要ない。家族と一緒に笑いあえたら、幸せなのだ。幸せを決めるのはいつだって自分自身だ。
今日は快晴、気温は零下、一面は雪で真っ白、さあ背筋を伸ばして前へ。