夜10時の牛丼屋。

数年前、主人とお腹が空いたし「夕飯を作る気力ももうないね」と話しながら、入店した時のことである。

隣に座る人が子供に「前に出ることでやっと評価される」と言っていた

隣に座る家族の会話が耳に入ってきた。「あんた、絶対に生徒会長なりなさい!」お父さんとお母さん、中学生ぐらいの男の子が一人。大人しそうな男の子に対し、両親は血気盛んというかハキハキと主張が強そうな印象。

生徒会長かぁ……何だか懐かしい響き。個人的に興味が湧いたので、そっと会話に聞き耳を立てた。

どうやらまとめると、男の子は中学の教師から生徒会長への立候補を勧められているらしい。勉強は出来るほうだが、性格が内向的で人前に出ることが少なく、果たして自分が立候補して良いものか、どちらかというとやりたくないと悩んでいるようだった。

それに対する両親の反論の猛襲が凄かった。「せっかくの機会だからやればいいのに」ならまだしも、「私たちはあんたを表舞台に立てる子にするために産んだのよ」「裏方は地味で苦労だけして終わる。前に出ることでやっと評価される」と、両親の目立ってナンボ精神に少々辟易しながら、私は興味深く聞かせてもらった。

地味で大人しくて「裏方」の似合う人間の何処が悪いのだろう?

店を出てから、主人に先ほどの家族の話をした。主人はまったく気にも止めていなかったが、ざっとあらすじを説明すると思いもしなかった言葉が返ってきた。「俺はその親と同じで、我が子には人の上に立つような人間になってほしい。地味で暗いと評価されるならイケイケグループで目立っていてほしいよ?」

私は、その男子中学生に対しても我が子に対しても自分に対しても、無理して頑張ったり見栄を張ったりする必要は無いと思っていた。地味で大人しくて、裏方の似合う人間の何処が悪いのだろう。

あくまで個人の価値観だが、“◯◯デビュー”という言葉があるように、身の丈に合わないことを急に始めて、残念な人間だと揶揄されるほうがよっぽど恥ずかしいとさえ思う。どちらかというとやる後悔より、やらない後悔派な自分。

確かに、芸能人やスポーツ選手など目立つ舞台で活躍する人々は輝いて見える。ただそれはほんの一握りの人間で、失礼な言い方になってしまうが、同じ芸能人やスポーツ選手にもピンからキリまで存在する。いつかその頂点に立つことを他者が目標設定して意見することは、本人にとってなかなか辛辣ではなかろうか。

本人が望むのならば、また話は別だ。満足出来るまで、納得のいくまでやれば良い。ただ、本人の意に反して、他者が自分の希望を押し付けるのはナンセンスだと考える。

私は、人間には必ず向き不向きといった「特性」が備わっていると思う

私はつまらない人間かもしれない。向上心が無く、最初から出来ないと諦め、逃げていると言われればそれまでだ。

しかし、人間は完璧なAIではない。必ず向き不向きといった特性が備わっている。「別に無理しなくてもいいじゃんかよ~好きにしろよ~」と私の脳内に住む人格の一人がボソッと口を出す。

その後、男子中学生がどのような選択を取ったのか、私は知らない。主人がどのような方針を持って、我が子に対して教育を施すかも想像出来ない。

ただ誰もが、自分自身で人生の決定権を握り、息のつまらない毎日を送れることを私は願っている。