引きこもって「生きる道はない」と思っていた私にも、やがて訪れた朝
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17歳の私は、毎日朝が来るのが恐かった。
朝が来ると、廊下から人の足音が聞こえる。
仕事に行くのか、学校に行くのか、子どもを保育所へ送り届けるのか。
みんな、それぞれの目的のために動き始める。
私は、みんなが動き始めてからも布団に潜り込んだまま、化石のように息を殺している。
誰からも見えないのに、誰かの足音が近づく度に、身体を硬くして布団の中に身を縮めていた。
昔から、人と話すことが苦手だった。
元々、引っ込み思案な私は、中学生の頃から、自分が人と話すことが苦手なんだと強く思い込むようになった。
常に人の顔色を窺い、話題に置いていかれないように頭をフル回転させた。
下手なことを言わないように、いつも緊張していた。
みんなが当たり前のように出来ていることが、私には重労働だった。
それでも、中学校はなんとか乗り切った。
勉強は、そこそこ出来る方だったし、部活も楽しかった。
友だちにも恵まれた。
高校は、私にとっては地獄だった。
クラスメイトも先生も、宇宙人のようだった。
何を考えているのか、何を話しているのかもわからない。
中学時代以上に、気を張って毎日を過ごしていた。
間違ったことを言えば、変なやつだと思われる。
冷たいやつだと思われる。頭の悪いやつだと思われる。
そう思われることは、当時の私にとって、まるで死刑宣告だった。
「お前なんて存在する価値がない」
「死んでくれた方がマシ」
そんな言葉が聞こえてくるようだった。
ある日、部活の先輩に怒られた。
原因は遅刻だった。
朝、お腹が痛くて、なかなか家から出ることが出来ず遅刻してしまったのだ。
そう説明する暇も与えられず、一方的に怒られた。
その翌日から、耐えきれなくなった。
食欲が減退し、あんなに大好きだったごはんが、あまり喉を通らなくなった。
食欲が減退したせいで日中の活動が辛くなり、たまに学校を休むようになった。
それからは、学校を休む日が徐々に増え出した。
友だちや先輩は「大丈夫?」と心配の声をかけてくれたが、学校は恐怖と嫌悪の対象でしかなかった。
高校2年の夏、私は不登校になった。
不登校と同時に、引きこもりのような生活が始まった。
何もすることがない。外にも出たくない。何もしたくない。
生きていることが申し訳なかった。
学校にも行かず、仕事もせず、ただただ迷惑をかけるだけの存在。
いっそ、私が死んで誰かに私の命を譲ることが出来たら良いのに、と何度も考えた。
どうして、こんな風になってしまったのだろう。
きっと私は普通に生きていくんだと漠然と思っていたのに、いつの間にか道が外れてしまっていた。
こんなはずじゃなかった。
普通に学校に行って、普通に卒業して、普通に仕事をするはずだった。
取り立てて特技もない私が、普通から外れてしまったら、もう生きる道はない。
普通以下の私に生きる価値なんてない。
消えてしまいたい。
一日中、まとまらない思考を繰り返していた。
そんな毎日を1年、2年と過ごした。
その間、初めてのバイトをしたり、転校したり、友だちと夜遊びをしたり、カウンセリングを受けてみたり、これまでしてこなかったことを経験した。
そうやって色々なことに流されて生きているうちに、気が付けば、外出できるようにもなったし、学校に行けるようにもなった。
何がきっかけだったのかはわからない。
人が変わるきっかけなんて、いつどこで訪れるのか、誰にも予想できない。
きっかけが訪れないまま、何十年と経つ人もいるだろう。
1週間できっかけを掴む人もいるだろう。
私のきっかけは、転校したことかもしれないし、カウンセリングを受けたことかもしれない。
今まで、「普通」だと思っていたことを、もう1度考え直すことが出来た。
何が普通なのか、なぜ普通でないといけないのか、自分は普通になりたいのか。
朝、仕事に行くことや学校に行くことだけが当たり前ではないんだと気づいた時、朝が来るのがそんなに恐くなくなった。
今の私は、働かなくても生きていけることを知っている。
だからこそ働くことができる。
いざとなったら全部やめればいいと思えるから。
案外、世間は出来るところまでやれば、許容してくれるものだ。
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