同棲している友人に感化されて、突然恋愛がしたくなった私は

恋愛なんて無意味だと思っていた。
男の人は欲にまみれた汚い生き物だと思っていた。孤独を好み、1人でどこにでも行ける自分を愛していた。

その気持ちが変わったのは、同棲している友人の家に遊びに行った時だ。
ごはんを作る、一緒に食べる、そんなことを恋人とする友人を見て、突然恋愛がしたくなった。
胃を満たされた帰りの電車で、マッチングアプリをダウンロードしたわたしの行動力は誉められるべきものだと、我ながら思う。

それまでもマッチングアプリを開いたことはあった。
けれどスワイプするたびに出てくる男の人の顔、意味を感じないメッセージのやり取りにいつも辟易しては、「再ログインしてください」まで放置してしまう。それの繰り返しだったのだ。

そもそもメッセージのやり取りをすることがわたしに向いていないのだと思い、いきなり会うやり方にシフトしたデートは中々うまくいった。
そんな中であの人に会ったのは、本当に偶然だったと思う。偶然と顔の好みが一致したのだ。

ハラハラさせられた初デートの帰り道は、心地よかった

初めて会ったデートは、それはもうお世辞にもスマートとは言い難く、わたしをハラハラとさせるものだった。
なんせ彼はかなりの人見知りな上に無頓着で、一着しかないスーツでこれまた無造作にトマトパスタを取り分けようとしたり、照明にしょっちゅう頭をぶつけたり(これは席が悪かった)するのだ。正直お人柄なるものを見極めるどころではなかった。

けれど、仲良くもない人に恋愛経験を聞かれることが不快なことを伝えると、「じゃあ、この話題はやめよう」とアッサリ話を変えてくれたこと、駅までの帰り道がなんとなく心地よかったことが心に残り、その後もデートを重ねた。
その後はあれよあれよという間に好きになり、初めて自分から触りたいという感情が芽生え、晴れて恋人となった。

震える手をあの人が包み込んでくれたあの瞬間、あの温もりを知った瞬間にきっとわたしは一人でいられなくなってしまったのだ。
地獄がここからだとも知らずに。

孤独を愛する私のはずなのに、あの人と一緒に人生を歩みたくて

両思いであることがこんなに苦しいものだと、どうして誰も教えてくれなかったのだろう。友人から聞く恋愛話はいつも楽しく、喜びに満ちていたはずだった。
嫌われる不安、与えた分だけ求めてしまう愛情、会わない間に恋しくなる温もり、向き合うことの恐怖から逃げ出したくなる衝動、それらはわたしをほとんど常に苦しめウンザリさせた。

孤独を愛しどこにでも行ける自分と、彼とずっと一緒にいたい自分との矛盾だ。
それなのにわたしは彼を手放せない、この温もりをどうしても失いたくないのだ、一緒にあの人と人生を歩みたいのだ。
それならもう愛するしかない、いつか失うことが分かりきっているこの温もりを今は愛することしか、最早わたしにはできないのだ。
きっと彼を失った後も、わたしは以前と違ってもう1人ではいられないのだろう、また新しい愛情を探すのだろう。
孤独を失ったわたしはとても弱くなった、脆くなった。

恋愛なんて無意味だと思っていたけれど考えが変わった。とんでもない人間のバグだ。
まだ恋愛を知らない人には絶対におすすめしない。
それでも恋愛は素敵なことだ、とは思わない。知らないなら知らないで幸せに過ごせる。
本当に恋愛なんて、ロクでもない。