いつか大人になれば、長身で、塩顔で、とびきり優しくて、たまに少しどSな男がわたしを好きになってくれるに違いない。
中学生の頃、わたしは思っていた。

その反面で、美術部のオタク友達とは、推しの絵やBL漫画の続きを妄想した漫画を描きながら、「彼氏がいる女っていやだ。なんか、あざといし、ぶりっこだし。男に媚びなんて売ってる暇があったら勉強でもして将来への貯金でもしたらどう?」なんて話や、リア充爆発しろなんて話をよくした。よく、男に夢中になる女を馬鹿にした。
だって、好きになるなんて、性欲延長線上でしょ。動物と変わらないじゃん。なんて、世の中の男女に対して挑発的で、子生意気で憎たらしいことを考えたこともある。

彼氏が欲しい。女であることを誰かに肯定されてみたい

そんなこじらせた行動を取っていたわたしだけれど、その理由として、悲しいけれど告白すると、自分がモテなかったっていうのが大きいんじゃないかなって思う。
メガネでニキビだらけで、一重で、しわくちゃな服ばかり着た不潔な見た目の女だったから。
わたしなんかを求めてくれる人がいないから。
わたしが求めてやまないものを持っている人が、羨ましくて羨ましくって言ってたのかもしれない。
届かないものに対して求めないということで、自分の異性とコミュニケーションを取りたいという思いを抑えていたのかも。いわゆる、酸っぱいブドウっていうやつかな?

けれど、大学生になっても、就職しても、いつか現れると妄想していた塩顔イケメンが、わたしの前に現れることはなかった。
もはや、イケメンでもなんでもない普通の男だってわたしに見向きもしなかった。
悲しいかな、少女漫画とBL漫画を読み、ちょっと歪んだ性的知識を持ちつつ、理想と妄想ばかり肥大した、すっぴんメガネ女に春は来なかったのである。

わたしは就職しても、誰からも求められず女という自分が磨耗し、腐っていくような感覚を味わい、決意した。
彼氏が欲しい。自分が女であることを誰かに肯定されてみたい。
少し女の子らしくなるために、努力してみよう。少し理想を下げてみよう。

友達の幸せに嫉妬し、自分の現状に焦りを感じていた

YouTubeを見て最新のメイクを練習した。
恥ずかしかったけど、お洒落な洋服屋さんに行って今どきの店員さんに洋服をコーディネートしてもらった。
ダイエットをした。
そしたら、 少しづつ女の子として見てもらえるような機会が増えた気がした。
けど、なんだか、夢見がちな乙女なわたしの根本は変わらなかった。

マッチングアプリをはじめ、良い人とマッチして、相手に好意を示されてもなんか違う(背丈が、違う、鼻が気に入らない、ラインの返事が遅い、奢ってくれない等)という曖昧な理由で相手を拒否し続けたのだ。

当たり前だが、いつまで経っても彼氏は出来ず。
その一方、周りの友達は彼氏を作りディズニーデートや、水族館デートといった幸せをインスタに投稿し、幸せを見せつけられ、自分にはないものを持っている友達に嫉妬と羨望を抱いた。
わたしは、自分で拒否しておきながら、自分の満たされない現状に焦りと悲しみを感じるようになっていた。
いつまでたっても彼氏ができない状況の中、友達よりもハイスペックな相手と付き合い、友達にマウントを取りたいという意味のわからないプライドも出現し、余計に彼氏が出来にくい状態を作り出していた。

手の温もりから、彼のわたしへの優しい愛情を感じる

そんな中、ある日、職場の先輩の強い紹介である男性を紹介されることになった。
わたしは、ぽっと出たそのような出会いに対して少しも期待していなかった。自分で選んで会っているマッチングアプリの男ですら微妙なのに、先輩の紹介なんて。スペックだって、見た目だって微妙に違いない。
そう思っていたけれど、紹介された男性はなんか雰囲気が良かった。
共通の知人がいるからか、マッチングアプリの出会いみたいな定型的な会話ではなく、普通の友達みたいなバカみたいな話がテンポよく続いた。

彼はわたしが期待するほどの、イケメンじゃなかった。王子様ではなかった。
初めてのデートはお洒落なレストランではなく、安いチェーンの居酒屋だった。ただ、常識と誠実さを持っていた。
見た目に自信がなく、仕事で失敗ばかりで、陰気なわたしのくだらない話を真剣に聞き、肯定的な言葉をたくさん投げかけてくれた。
少しづつ、彼への気持ちが育っていくのを感じた。

数回目のデートで、海辺の公園を散歩した。
コロナ禍だったから、飲食店は閉まっていて行けなかった。ご飯も食べられず散歩なんてと、ちょっと退屈に思った。

夕暮れの中、海沿いを歩いていると、彼にそっと手をぶつけられる。彼は手を握りたがっているように感じる。わたしがそっと指先を握ると、彼に指を絡められぎゅっと手を強く握られる。いわゆる恋人繋ぎだ。
その瞬間、なんだか、世の中の男女が決まったことみたいに、くっつく理由が分かる。
男に手を握られて喜んでいる、わたしを見て中学生の頃のわたしは何を思うだろうか。バカにした目で笑ってくるだろうか。
手の温もりを感じる。彼のわたしへの優しい愛情を感じる。幸せを感じる。
きっと頭ではオキシトシンやら、ドーパミンやらが一杯分泌されてる。

美味しいご飯なんてなくても、お金を使わなくてもこんな幸せになれるなんて自分で驚く。
こんな幸せを感じられるなら、ご飯屋さんじゃなくてよかったと思う。
コロナ禍だから、散歩ができた。よかった!

わたしはこれまで、他人が羨ましくて他人への劣等感を解消するために異性を求めていたところがある。
けれど、手を握り締められて、愛情を感じて、大人は寂しいから、もう自分を庇護してくれる親もいないから、社会も厳しいから、その中で心が繋げる相手を求めて寄り添うのかもしれないと思う。

今大人になって、少女漫画みたいな恋愛は出来てないけど、幸せだよ。
わたしは中学生の頃の拗らせた自分に伝えたいと思った。