「お父さんも昔は、小さな会社であなたと同じ業界・同じ職種で働いていたのよ」
転職の報告をした時に母から言われた一言。
父に対して無関心の私にとっては衝撃の事実だった。
母との時間は長く、濃く、仕事人間だった父との記憶はほぼない
私の家族は仕事人間の父、専業主婦の母、のんびり屋の姉、ご飯の時だけ懐くもいもい(愛猫)。
普段はめんどくさがり屋で放任主義の母。
気まぐれでとんでもなく美味しいプリンを作ってくれたり、塾帰りにコンビニの肉まんを食べながら愚痴を聞いてくれる母が大好きだった。
誕生日には「お誕生日おめでとう」ではなく、「生まれてきてくれてありがとう~~!!」とハグしてくれるような優しい母だった。
幼少期、楽しい時間も苦しい時間も母がそばにいた。
母と過ごした時間は本当に長く、濃いものだったと思う。
一方で父は仕事人間だったため、家でも仕事に追われていた。
父に対する幼少期の記憶は無く、今でさえどんな人なのかわからない。
それでも忙しいことを母は咎めることは無かったので、それが当たり前だった。
幼少期から「お母さん」は家にいて、「お父さん」は外にいる人、という認識をしていた。
知らぬ間に似た道を歩んでいた私。最近、父の気持ちが少しわかる
しかし、年を重ねるに連れ、父が家族に対して無関心だったことを不思議に思い始めた。
いろんな人、いろんな家族と出会う中で、「父」というものに正解を求めたくなったんだと思う。
男性は女性と違って自ら子供を産むことは出来ない。
そんな中で、父に構ってほしかった、というよりは一人の人間として子育ての機会を逃したことが純粋に疑問だった。
平日は終電近くに帰って、土日も仕事。
ストレスで家族に不満をまき散らすことも多々。
そんな風に生きていて何が楽しいんだろう、と子供ながらに思っていた。
しかし、最近になって父の気持ちが少しわかるようになった。
去年、コロナの影響で転職することになり、今は小さな会社で営業職として働いている。
1年前までは全く異なる仕事をしていたため、今の業界に入ることも、今の職種で働くことも想像していなかった。
そんな中で冒頭の母の言葉には衝撃を受けた。
さらに聞いてみると、父が在籍していた期間にベンチャー企業から上場企業まで登りつめたらしい。
そして、その会社は私が転職活動中に1社目に内定を貰ったところだった。
私は父の仕事に関して何も知らなかったし、何なら亭主関白な父が大嫌いだったが、知らぬ間に似た道を歩んでいたのだ。
父はきっと家庭より「世の中」が面白かったんだろう
社会に出て、働き始めたときに、世の中はこんなに面白かったのか!!!と感じたくらいに没頭した。
ずっと、高度経済成長期には男性社会だし家庭を顧みる時間なんてなかったんだ、と思いこんでいた。
でも、今ならなんとなくわかる。
きっと父は、家庭というコミュニティより世の中が面白かったに違いない。
聞こえは残酷だが、今を楽しみたい人間の私にはわかってしまう。
こんなにも世の中が奥深く、仕事が面白いなんて、学生時代の私は知る由もなかった。
父は子育てをゆずったわけではないと思うが、仕事がゆずれなかったんだと思う。
その選択に私が求めていた正解は無くて、それぞれの人生の選択をしただけ。
両親の「ゆずれなかったこと、ゆずったこと」を考えてみると面白い。
母もきっと30年前に何かをゆずり、私たち姉妹を必死に育ててくれたのだろう。
私はまだ自分の「ゆずれなかったこと」も「ゆずったこと」もまだわからない。
この先、何かをゆずり、何かをゆずれない、と選択する日がくる。
どんな選択をしてもそれぞれの経験が得られる。
私はこの先、何をゆずって、何をゆずらないんだろう。
今はまだ、何もゆずりたくない。