母はブルーカラーの仕事に賛成していなかったけど、譲れなかった

私は数学ができない。わかりたいという気持ちはあるが、脳が理系的思考に弱いらしい。
必然的に高校で文系コースを選び、また、進学して専攻したい分野も文系の範疇であった。そのようなわけで、バリバリの文系として地方の国立大学を卒業した。

大学では研究や勉強を最優先して、就職活動にはなかなか身が入らなかった。どんな仕事にわくわくできるのか、どんな仕事なら苦にならないのかを考えた結果、金属部品のメーカーで、製造に携われる会社を志望することにした。
インターネットで情報収集した結果、非常に魅力的に感じた、関東にある自動車部品メーカーにエントリーすると、人事の方、社長さん、工場のパートリーダーの方が私1人のためにご対応くださり、工場も案内してくださった。出会った方々は、みな感じがよく、工場も明るい雰囲気であった。

その後も幅広い地域と業種の企業をまわったが、やはりその会社に行きたいと思い、正式に選考を受けたいと連絡したところ、本社とは他県にある工場もぜひ見ておいてほしいとの回答で、北関東へ訪ねて行った。
その際に会長とお会いし、どこに魅力を感じているのかを問われたのでお答えすると、会長は、その答えだけでも十分内定に値するということを仰って、後日人事の方から実際に内定通知をいただいた。

その内定通知を前に親と改めて話し合ったところ、母は関東へ行くことに反対し、工学部出身の父はそのメーカーの将来性について疑問を呈した。私はかなり後ろ髪を引かれる思いだったが、普段意見を言わない父の言葉も重んじ、就職活動を続行した。
結局、地元近畿において金属部品メーカーに就職した。中小企業かつブルーカラー的な仕事に母は決して賛成していなかったが、その部分では譲れなかった。

その会社は人間関係のもつれで、1年余りで辞めてしまった。仕事内容は好きだったので、工場でのアルバイトを探して、半年ほどの間、遠くまで通った。
妥協して下した選択がうまく行かなかった時、やはり自分の直感通りに選べていたらと思ってしまうが、それは単なる責任転嫁と言うべきなのだろう。

「自分の人生」を優先するか妥協するか。選択の道に立たされる

それから2年間だけ大学院へ行った。指導を受けたい教授のいる大学を目指して上京することを、母はしぶしぶ認めてくれた。
それは、私が大学に残ることを期待して、そのために役立つならという意味で認めてくれたものだったのだろうが、私はその期待を裏切って修士課程で就職活動を始めた。

無農薬での農業を雇われでやろうと決め、いくつかの農園を訪れた。
日本アルプスの麓の駅へ降り立った時、素晴らしく気持ちが良く、このようなところに住みたいと思い、第一志望の就職先を決めていた。
しかし、帰省した際に母と話をすると、就職は近畿でなければだめだと言われた。農業という選択についても、わざわざ厳しい職を選んでということで良い顔はされなかったが、父の「やりたいのなら仕方がないのでは」との鶴の一声もあり、そこは譲歩を引き出すことができた。
修士論文を書き終えた後で就職活動を再開し、良い就職先を見つけた。卒業間近にして幸いにもご縁をいただくことができた。

実際にそこは良い職場だったが、自分を追い込みすぎてしまい、心身の調子を崩して退職した。実家に帰るかどうかは悩みどころだった。ある意味で母の心配を的中させてしまったことで、今後の私の進路については選択肢がかなり狭められることが予想できた。
苦しいな、と思いつつ、母方の祖母が余命幾日という状況にもあり、帰らざるを得なかった。
祖母を喪ったことで、私を統制下に留めたいという母の心理は強まったようである。私の希望する就職先はことごとく、何らかの理由を付けられて却下された。
何ならば良いのか、と訊くと大企業か公務員、しかも転勤が広範なものは不可と言う。大企業といっても、この経歴では雇ってくれるところもないだろう。

東京でやりたい仕事がある。東京に行くことを完全に納得してもらう道はない。どこかに禍根は残るとしても、自分の人生を優先して東京へ行くのか、妥協して地元で公務員またはその他の職に就くのか、おそらくそのいずれかである。

自分の気持ちはどうにでもなる。大切な人の気持ちを大事にしたい

これまでの経験を振り返ると、譲歩したことに関してはやはり後悔がある。でも、我を通すことですべてうまく行くとは限らず、周囲とうまく妥協するからこそ手を差し伸べてもらえるという面もきっとある。

ただ、譲らなかったことに関しては、自分の選択によって順調には進んでいないにもかかわらず、後悔はない。
しかし私にとって、大切な人の気持ちというのは、やはり大切なものである。進んで傷つけたいと思うはずもない。私を世に生み出した人に、終生不満に思われるようなことは、正直に言って怖い。

自分の選択の結果がどうであれ、自分の気持ちはどうにでもなる。でも他者の感情はどうにもできない。そして他者との情動の交流において、私たちは在る。