私は、頑張り過ぎてしまう人間だ。今までの成功体験が頑張ってできたものばかりであったため、努力があればなんとか乗り越えられるとばかり信じて来たからだ。
でも、最近は頑張ること、やる気を出すことに疑問を感じて来た。
きっかけは3月にあった上司との面談だった。

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12月から私は念願の係に係替えで就くことになった。しかし、人繰りの関係もあり、本当にしたい仕事をする時間的な余裕が無く、イライラした私はミスを重ねる事が増えていた。
そんな私を見かねた上司からの、念願だった係を替えたらどうだ?という提案に、私は「部署全体のことを考えたらそうするべきだと思いますが、私は嫌です」とピシャリと答えてしまった。

今思えば私も物事を断定的に述べ過ぎていたが、すると普段は温和な上司から、こんな言葉が次々と飛んできた。
「〇〇(同期)に比べて、みんな貴方は仕事ができていないと思っている」
「頑張っているけど、どれもこれも空回りしている」
言葉のアッパーを受け、帰り道、私は泣いた。その後友達と会ったが、会話を楽しむ余裕なんてものは無く、その日仕事場であった事をスタバで話しながら、ただただ泣いた。友達は少し困惑しつつ、話を聞いてくれた。

そんな事を思われていたんだ。
悔しい。最初はそう思った。
見返してやる。
そう思い、3月はがむしゃらに頑張った。そこそこ成果も上げることができた。
でも、4月からはそうもいかなかった。

なんで、私のことを大切にしない人間のために、私はここまで頑張っているんだろう。
ある日、ふと頭にそんな考えが浮かんでから、離れなくなった。
そこで、私は思った。
頑張っていて頑張っていないと言われるくらいなら、頑張らなくて良くないか?と。

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そこから、私は朝起きて、仕事に行く前には「今日も頑張らないぞ!」と自分に言い聞かせている。
そこから、失敗をしても、「ま、死なへんしな」と思えるようになり、嫌なお客さんに当たっても、「私の人生には不要な人。さよなら」と思えるようになった。
また、ついつい仕事の愚痴を母親に甘えて言ってしまう自分が嫌で、母親に平日は自分から連絡をしないようにした。
今まで愚痴を言うことでその日あった嫌な事をリマインドしてしまっていたので、これは私にとって自分を好きになる大きな一歩だったように感じている。
今まで神経質、几帳面すぎた私からしたら、これぐらいがちょうど良いのではないかと最近感じ始めている。
あまりにも真面目すぎると、人生の選択肢が知らず知らずのうちに狭まってしまうような気がするので、本当にしんどいな、と思った時には自分の中で引き際を定めておこう、と思っている。

目には目を、歯には歯を。戦略的な撤退を、これからも私は推進する。
やる気がない時もあるでしょう。人間だもの。今日もそう自分に言い聞かせる。
そして周りの目を気にしてついつい頑張り過ぎてしまう人も、仕事場に行く前にはこう唱えてみて欲しい。
「今日は絶対頑張らないぞ!」と。
少しでも自分らしく、前向きに働けるように、これからもやる気が無い自分も認めながら、進んでいきたい。