私は、そもそも家事が得意なほうではないが、とりわけ料理は全くやる気がでない。労力と報酬が見合ってないと思ってしまうからだと思う。

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まず、料理をするためには、過程が必要である。「献立を考える」「買い物に行く」「調理をする」「片付けをする」の4つである。
この4つを完遂しないと、「料理をした」ということにはならない。献立を考えて、スーパーで買い物を済ますだけでは何もしていないのと一緒なのである。やり始めたら最後までやり遂げないといけないということを考えると、やや荷が重い。

加えて、自分で一生懸命調理をしても、びっくりするほどおいしい料理にはならない。
たとえば、麻婆豆腐を作るとする。豆板醤や甜麺醤の量を調節し、最後に山椒を振っても、中華料理屋の本格麻婆豆腐のおいしさの足元にも及ばない。
もちろん、それはその道で何年も修行し、経験を積んだプロの料理人が作っているのだから当たり前のことではある。そうなると、千円払って、そのおいしい本格麻婆豆腐をテイクアウトでもしたほうが、コストパフォーマンスがいいのではないかと考えてしまう。

一方、掃除や洗濯はまだやる気がでる。掃除は途中で疲れてやめたとしても、このスペースだけはきれいになったと達成感を感じられる。ビフォーアフターの差が明らかに分かるし、実際に物が取り出しやすくなったり、そうすることで時間の節約になったりして生活に良い影響がある。
洗濯も同様で、きれいに洗われた服を見ると達成感がある。もちろん、洗い立ての服を着ることは気持ちがいいし、肌にもいいだろう。
やはり、掃除や洗濯と比較すると、料理は労力に対して返ってくるものが少ないと感じてしまう。

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そうは言っても、料理に対してやる気がでるに越したことはない。今は夫との二人暮らしだが、将来、家族が増えるかもしれない。そうなると、買うより作ったほうが節約になるだろうし、子どものためにお弁当を作らなくてはならなくなるかもしれない。
どうにか料理にやる気を出せないかと、策を少し考えてみた。

私は達成感を求める傾向にあるので、目標を定めたらやる気が出るかもしれない。
たとえば、「3カ月間、試行錯誤を重ねて、お店レベルにおいしいチャーハンを作る!」や「魚の焼き加減をマスターする!」などである。目標達成に向けて、少しはやる気がでるかもしれない。

また、誰かと料理を一緒に行うのもいいと思う。料理とは少し違うかもしれないが、家族や友達と鍋を囲むのは好きである。ぐつぐつと具材を煮ながら、「もう火通ったかな?食べられるかな?」「もうちょっとじゃない?」など、あれやこれやと言っている時間が楽しいのである。
つまり、誰かと一緒におしゃべりを楽しみながら料理を作れば、必然的に料理が楽しくなる気がする。しかも、誰かと一緒なら、買い出しはしたけど、今日は疲れたから作るのをやめると言ったような、途中放棄はしづらいだろう。

なかなか好きになれず、やる気のでなかった料理だが、策を考えると少し挑戦してみてもいいかと思えてきた。まずは目標を立てるところから始め、いつか料理にやる気がみなぎる日がくるといいと思う。