「えっ」。たまたま歩いていた神社の参道で、かなり大きな声を出してしまった。
「春馬くんが亡くなったんだって」
母からのLINEだった。
人生最大の試練の時、三浦春馬さんの舞台で夢を見つけた
2020年7月18日、三浦春馬さんが亡くなった。母からの第一報の後、ネットニュースを見て事実だと知った。周りにいた人たちも心なしかざわざわし出していた。
私は茫然自失。彼は命の恩人そのものだったからだ。
人生最大の試練の時を支えてくれた人だった。
高校生2年生の秋、祖母と伯母が連日で亡くなり、祖母のお通夜と葬儀、伯母のお通夜と葬儀、4日連続で続き、その後のことはほぼ記憶がない。
1月頃、胃腸風邪で学校を休んだのをきっかけに学校を休むようになった。不登校となってから3か月経ったある時、母から舞台に誘われた。
その舞台は、演劇ユニット「地球ゴージャス」さんの『海盗セブン』という舞台。
そこに出演されていたのが、三浦春馬さんだった。キャンセル待ちで取った、4階席の1番後ろの席。それでも、三浦さん扮するワイルドアッパーが登場した瞬間、「この世にこんなに私の心を惹きつけるものがあったのか」。唐突にそう思ったことを今でも鮮明に覚えている。稲妻のようだった。
「絶対にあっち側へ行く、女優になる」
「いつか三浦さんと共演する」
そう決めた瞬間だった。
受験前の手術、松葉杖に。浪人生活を支えたのは「海盗セブン」
高校3年生から学校へ復帰。関東の大学に行って、女優を目指す、その一心で勉強に励み、
順調に勉強の遅れを取り戻していた秋、体育祭の練習での事故。私の脚が「バキッ」と音が鳴り、激痛が走る。「女優になれないかもしれない」。
病院へ行くと、軟骨に傷がついているとの診断で、痛みが引かない場合は手術とのこと。ただ、センター試験を控えた大事な時期ということで手術は延期し、松葉杖をついて学校に通うことになる。
追い打ちをかけるように、脚のCT検査で内臓に腫瘍が発見された。良性だったがすぐ手術が必要ということで、センター試験の1ヶ月半前にも関わらず手術を受けた。
受験終了後、大学に入ったらすぐ女優になるためのレッスンを受けたかったため、脚の手術を受ける。
しかし、脚の回復も予定より大幅に遅れ、上京しての一人暮らしは困難だったため、松葉杖をつきながら浪人生活することになる。
歩けるようになるためのリハビリも並行をしながら、さら這いつくばって勉強をし、無事大学に合格。
この怒涛の3年間私を支えてくれたのは、『海盗セブン』だった。
DVDを700回以上は観ただろう。私の命をこの世に留めていてくれたのは、確かに三浦春馬さんだった。
夢は変わっても「絶対に会える」と信じていたのに
大学入学後、女優のレッスンを開始。『海盗セブン』に出ていた方や、音楽指導をされている方に直接習う機会に恵まれたが、オーディションを受ける中で、持病を持った自分がこの世界で生きていくのは難しいと悟り、私は夢を諦めた。
その後、PRコンサルタントになった私は、女優の夢は叶わなかったものの、いつか三浦さんとお仕事をご一緒出来るものと信じていた。仕事柄、芸能人の方とお仕事をする機会もあり、もちろん会社には彼とお仕事したことのある方も何人もいて、「絶対に会える」と信じて疑わなかった。
そんな中、あの日は来てしまったのだ。いつか直接感謝を伝えられる日が来ると、信じていた私が愚かだった。
もっとファンレターやTwitterなどで、ご本人に見える可能性がある形で応援するべきだったという後悔。「私はあなたに救われたのだ」と伝えたかった。だからといって何も変わらなかっただろうが、その時できることはすべきだった。
人はいついなくなるか分からないのに……。
彼は私にとって生身の人間ではなく概念。そして私の人生の一部だ
今思うと、私にとって彼は、生身の人間ではなく、概念だったのだと思う。
多分大多数の人にとって、芸能人や著名人は心の琴線に触れたその時の自分の気持ちを反映した象徴なのではないか。
私にとって彼は苦しみからの救い、そして、生きる意味を知った時代の象徴だった。
たとえ私の中で彼が象徴、概念だったとしても、彼と同じ時代に生きることができたことは確かで、あの時あの舞台に立って下さったことに、私の人生を支え、目標を与えてくださったことに、本当に感謝をしてもしきれない。
人生が時間なのだとしたら、生で観て、何度も何度もDVDを見て過ごした時間は、『海盗セブン』のワイルドアッパーは、大切な、大切な私の人生の一部だ。
「エンターテインメントは人の心を救うもの」
『海盗セブン』のワイルドアッパーはそう言った。
私にとって『海盗セブン』がそうだったように、誰かの『海盗セブン』を私が作りたい。
エンターテインメントの力を身を以って知っているから、女優は諦めても、どんな形でもエンターテインメントやコンテンツを作りたいと今では思っている。
私の中の「三浦春馬」は、今でも私の中で生き続け、私の人生を見守り導きつづける。