戦争は過去のものではない、国際平和に携わる仕事への思いが膨らむ

最近よく目にする「ウクライナ情勢」を知らせる報道番組や新聞などのメディア。目をつぶりたくなるようなショッキングな映像や写真が、日々目に入ってくる。
私は昔から戦争と平和について関心があり、幼い頃から過去の歴史を記録したテレビ番組を観たり本を読んだりしていた。もちろん、“昔の出来事”として。
しかし、2月にロシアがウクライナへ侵攻し、改めて戦争は過去のものではないことを思い知らされた。それと同時に、私の中で「いつか国際平和に携わる仕事がしたい」という思いが膨らんでいった。

そもそも“平和”とは何だろうか。国と国が争わないこと? 人と人が傷つけ合わないこと?
私は、自分は“平和”な国で育ったと思っている。ここでいう平和とは、きっと今日のウクライナで起きていることと逆のことを指すのだろう。
私は知りたい。なぜ人は、殺し合いをしてしまうのかを。憎むことがあったとしても争いが起きたとしても、人を傷つけることは良くないことだと、本当はみんな分かっているのではないだろうか。“平和ボケ”してしまった国で育った私にはどうしても「殺さなければいけない理由」が分からない。育った環境により考え方も異なるし、文化の違いなども要因としてあげられるだろうが、このことだけは理解しがたい。
しかし、国際平和に携わりたいと思うならば、さまざまな立場の人たちの気持ちや都合も想像できるようになる必要がありそうだ。何故ならば、争いを起こしている双方が幸せに暮らせなければ、平和とは呼べないと思うからである。

それぞれの人が幸せに暮らせる世界の為に、今の私にできること

話は変わるが、私は今、言葉をつむぐ仕事をしている。具体的に記すと、取材をして記事を書くことを生業としている。
「まだまだ伸び代がたくさんある」といった腕前だが、日々修行を積んで言葉を武器にできるようになりたい。そして、その力を使って過去の負の歴史を背負う場所や、さまざまな思いを持つ人たちを訪れて、話を聞いてみたい。戦争の悲惨さと平和の大切さを言葉で伝えていきたい。ウクライナ情勢を伝えるニュースを見て、私の思いはより一層強固なものとなった。
「国際平和に携わる仕事がしたい」
そう願っている自分のために、今、自己投資できることは一体何だろうか。そう考え、ひとまず今年の8月6日は、広島を訪れることに決めた。小学1年生の時に初めて訪れた“負の歴史”を伝える資料館。改めて、原点回帰して、もう一度これから自分ができることを考えることにした。

ウクライナ情勢を伝えるニュースと、私。この報道には本当に胸が痛むし、ウクライナの人々にも、ロシアの人々にも、一刻も早く平穏な日々が戻ってほしい。そして、日本で過ごす自分は、家族や大好きな仲間たちと平和な毎日を送れることに感謝しないといけないと思うし、自由に発言できる国に生まれたからこそ、自分の思いを形にしていかねばと思う。
ウクライナとロシア、両国の国民にとって、今後が良いものであってほしいと願いつつ、私はこれから自分が進むべき道を自らの力で切り開いていこうと思う。
人種や性別や年齢など関係なく、それぞれが自分らしく、大切な人たちと幸せに暮らせる世界を目指して。