去年の夏、2020年に行われる予定だった東京オリンピック・パラリンピックが、1年延ばしで開催されようとしていた。
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しかし、世間はコロナ禍。救急車を呼んでも病院に行けず、不安な気持ちを抱えたまま自宅に放置される人々の声が、メディアやSNSから多く聞こえた。
大学3年生だった私はオンライン授業を受け、アルバイトもしばらく休んでいたため家に籠りきりの毎日。社会から分断された気持ちになりながら、次々に出てくる五輪関係者の不祥事のニュースに目を通していた。
こんな状況の中、「スポーツで希望を」なんて、馬鹿げていると思った。こんなふわっとした目的のために、社会は無視されなくてはいけないのか。
しかし、大会は開催された。前日まで反対派の声を取り上げていたメディアはメダルの数を報道し、「明るい雰囲気」が作り出されていった。
私はこの一連の流れが、とても怖く感じた。今までうっすら感じていた日本社会の不気味さが、私の中で大きく膨れ上がった。
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それから半年ほど経ち、私は就職活動に本腰を入れることとなる。
就活に行き詰まっていた私は、自分のやってみたいという気持ちを優先して良いというアドバイスをもらっていた。
しかし「やってみたいこと」って何だろう。
本が好きで、本にまつわる仕事をしてみたいとずっと思っていた。しかし、現在出版業界は中々に厳しいというのを、好きだからこそ知っている。
演劇も好き。だけどここも、仕事にするにはやはり厳しい。
埒が明かない。仕事に関係ないことで考えてみるか。
子どもを育てる、というのは、何だか想像ができない。時間もお金もそんなに用意できないだろうし。
では旅行をするなんていうのはどうだろう。しかしこれも、会社員になったら中々できないと親に言われた。
……仕事で自由な時間がとれなくて、でもお金はそんなに稼げなくて、それで、一度きりの人生が終わるの?
あぁ、自分の未来って貧しいな。そう思った。
その時、ふと、東京五輪のことを思い出した。
臭い物には蓋をしろ、とでもいっているような、楽しい事だけ考えていろよ、とでもいっているような、あの社会の流れを、それに対する気持ち悪さを思い出した。
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メダルたくさん!日本すごい!だけで終われたら、きっと楽だろう。
でも、思う存分楽しめたとしても、救急車に乗れないくらい医療現場がひっ迫したことや、関係者が様々な不祥事を起こしたことが、なかったことにはならないのだ。
好きなことを仕事にできるような豊かな社会を、文化を尊重する社会を、お金やキャリアの心配をしなくても子どもを産み育てられる社会を、旅行くらい気軽に行ける社会を作るには、臭いものに覆われた蓋を取り払い、原因をなくしていかなくてはいけない。
問題解決の鍵を握るのは政治だ。一個人では限界があることに対応するのが政府だ。
しかし今はどうだろう、自分たちの臭いを消そうとするので精いっぱいだ。統計を改ざんし、国会では虚偽答弁をし、行った政治の検証はしない。
このままで、未来に希望がもてる国になるのだろうか。
私が政治に求めるのは、株を買うことを国民に勧めることでも、弱い立場の人々から税金を搾り取ることでも、憲法から平和や国民の権利をなくすことでもない。
現実に目を向けることだ。
臭いものの蓋の上でつくられた目先の「楽しさ」でなく、平和で自由で豊かな将来が欲しい。
そのために、権力のある人ではなく、苦しんでいる側の人々の声に、耳を傾けてください。