鬱病になった私を救ったのは、昔鬱病で苦しんだ兄の言葉だった

私は何もやる気が出ない時、何もしないことにしている。もちろん仕事ではそんなわけにはいかないけれど、プライベートで誰に迷惑をかけるわけでもない時は、自分と相談して頑張れない時は頑張らないことに決めている。
だけどそれができるようになったのは最近のことで、それまで私は何よりも頑張ることは意味のあることで、人はどんな時でも頑張らなければいけないのだと信じて疑っていなかった。
私には優秀な兄がいて、運動も勉強も何でもそつなくこなし、学生時代は教師からの評判も良かった。それに引き替え私は勉強は中の下、運動は下の下。周りの大人は私と兄を比べては私に失望した。
幸い両親は私たち兄妹を比べることはしなかったけれど、それでも私は母から「あなたは人の3倍努力をしなければできるようにならないのだから、とにかく頑張りなさい」と言われて育った。
昔の私は努力や練習が何よりも嫌いだったけれど、それでも年を重ねるごとに頑張ることで手に入れたものが増えていき、次第に私は自分の長所は努力ができるところだと考えるようになった。
努力は裏切らない。努力をした過程が自分の自信に繋がる。できないは言い訳だ。できないんじゃない。やっていないだけだ。そんなことを考えるようになっていた。
私が中学生の頃、高校生の兄が鬱病になった。
周りのサポートもあり、早急に原因になった環境から離れることに成功した兄は、その後無事に高校を卒業し大学に進学したが、大学入学後に再発し、大学を1年間休学した。
当時の私は、兄は今まで色々なことに恵まれていて、苦労をしたことがないから少しの苦労やストレスに負けるだけなのだと、心のどこかで少し兄を馬鹿にしていた。
だけど、私は24歳の時にずっと追っていた夢を諦め、初めて正社員として就職して数ヶ月で鬱病を発症し、動くことができなくなってしまった。
そんな時に「頑張れない時は頑張らなくてもいい。人は頑張り続けることはできないのだから、どこかで力を抜かないと壊れてしまう」と私に教えてくれたのは、昔鬱病に苦しんだ兄だった。
元々夢を追いながらアルバイトを続けていた私に、夢を諦めるのなら正社員として就職してほしいと家族は強く望んだ。
入社してすぐに会社や上司に違和感を感じたけれど、まずは3ヶ月頑張ってみようと決めた。
3ヶ月間、頭痛や吐き気、胃の痛みやめまい等、日に日に体調は悪くなっていったが、元々環境の変化に強いタイプではなく、今までも環境が変われば同じような症状が出ることはあったし、今はまだ仕事がわからないから辛いけれど、慣れてしまえばもう少し楽になるはずだと信じていた。
しかしある日、私の糸はプツリと切れてしまい、鬱病と診断され医師から1ヶ月間休職するよう伝えられた。上司に診断書を提出し退職を促され、そのまま退職した。
医者からはとにかく今は休息が必要だと言われたが、頑張り切れなかった自分への失望や家族の期待に応えられなかったことへの罪悪感が私を襲った。
私は退職後1ヶ月近く、とにかく何もできずひたすら眠った。
兄と2人暮らしをしていた私は、家賃も食費も払えなくなった。だけど当時兄は私に一度も頑張れとは言わず、頑張らないことの大切さをただ教えてくれた。
鬱病になったことをきっかけに、私は頑張りすぎないということを学んだ。
その後、無事職場に恵まれ、今は楽しく働いているけれど、頑張れない時はとことん手を抜くようになった。休みの日は一日中寝ることもある。料理も掃除もできない時はしない。
その代わり、少し元気がある時にまとめてやる。疲れたら休む。
そうやって生きるようになって、かなり心が軽くなったし、生きやすくなった。
今でも頑張ることは好きだ。だけど頑張らない自分も好きになれた。
これからも自分のやる気に身を任せて生きていきたい。
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