27歳の私が欲しいもの。そんなの沢山ある。
もうちょっと給料が良くなれば、メイク用品を安いドラッグストアコスメからデパートコスメへと一段ランクアップすることができる。社会人になったことから自由時間が減ったので、もっと時間があれば大好きな読書の時間や勉強に充てることができる。いくら好きな物を食べても太らない体・美貌も外せないところだ。変わったところで言えば、私の部屋は父の書斎と相部屋なので、衝立となるアコーディオンカーテンも欲しい。

自分一人ではどうしようもない今一番欲しいもの。それは「平和」

ほんの2か月前まで、私が欲しいのはこのようなものだった。
このような欲望は、自分一人で完結するものだ。利益を得られるのも自分だけ。そして得られるのかどうかも、実は自分の努力と工夫次第で何とでもなるものだった。
給料は残業を増やせばよい話だ。少なくなった自由時間も無為にスマホをいじる時間を減らせば、時間を創り出せないこともない。スリムな体は横着せず運動しろ、アホ。アコーディオンカーテン?少し無駄遣いをやめてお金を貯めて、アマゾンでポチればすぐ手に入る。何もかも自分のせいなのである。

でも今私が一番欲しいものは、自分一人ではどうしようもないものだ。他の人と協力をしなければ手に入らないものだ。
私が欲しいもの、それは「平和」である。

ロシアのウクライナ侵攻は、SNS時代の新しい戦争の形を提示したのではないだろうか。
私たちはTwitterやFacebook、テレビを通じて、今まで感じたことのないくらい、戦争を身近に感じている。

戦時下を生きているはずなのに、SNSを消せば衝撃を忘れ、日常へ戻る

毎日投稿される痛ましい戦地の現状に、衝撃を受けた多くの人がSNSを通じて反戦を訴えた。中にはそのように反戦を訴える人々に対し、「Twitterで戦争を訴えることは無意味。本当にウクライナのことを考えるなら外国人部隊の傭兵となって、戦争に参加すべき。それができないなら黙っていろ」と冷笑する人も現れた。

その意見には反対だが、Twitterでの反戦運動を冷笑する人たちの言うことには一理あるのかもしれない、と思うこともある。
2月24日、ウクライナ侵攻というニュースに衝撃を受けた後も、私は普通に仕事をし、普通に夕食を食べ、普通に寝た。次の日は友人とお洒落なバーで女子会をし、その次の日には水族館に行った。
衝撃を受けつつも、日常をいつも通り楽しく過ごしていた。その変わらなさこそが、衝撃だった。
私たちは戦時下を生きているはずだ。でもテレビやTwitterを消せば、すぐに戦争のことなど忘れ、ウクライナや平和への思いを綴った同じその手で、その後すぐに芸能ニュースを調べている自分がいた。
「ほうら、お前の意識なんてそんなもんだよ」と自分のどこかの部分が自分をあざ笑う。

このままでは、もしかしたら将来子どもができて「お母さん、あのすべてのきっかけであるロシアのウクライナ侵攻のとき、なにをしていたの?」と聞かれたとき、答えに窮すことになるだろう。だってただの「傍観者」であったのだから。
平和のためになにかしたい。でも何ができるだろう、世界はあまりに大きくて、私たち一人ひとりはあまりに小さく無力で平凡だ。

受験を終えても心に残る、日本や世界を動かした「杉並区の主婦たち」

このような感情に悶々としていたとき、私は10年前の大学受験勉強中に受講した、世界史の授業を思い出した。
受験科目で嫌々始めた勉強だったが、私が当時通っていた塾の世界史の先生は、落語を勉強されているだけあって、話が流暢で、含蓄とユーモアに溢れている講義はとても人気だった。受講するのに順番待ちが出ていたほどだった。
受験世界史で現代史のウェイトは少なく、軽く流す程度だった。しかし、私にとって10年間忘れられなかった講義は、その現代史の授業であった。

「1954年3月に起きた第五福竜丸のビキニ被爆を受けて、日本では反原水爆運動が始まってね……55年11月までに3259万筆もの水爆反対の署名が集まったんだ。この運動、誰が始めたか知っている人いるか?杉並区の主婦たちが声あげて始めたんだよ。名前も残っていない一般人の杉並区の主婦たちの運動が日本や世界を動かしたんだ……。
すごくねえか?杉並区の主婦たち!」
(参照サイト:https://www.suginamigaku.org/2014/10/h-gensuibaku.html

世界を動かした一般人の杉並区の主婦たち。
あれだけ必死になって覚えたローマ帝国の五賢帝や中国王朝の順番はとっくの昔に忘却の彼方なのに、杉並区の主婦たちというワードだけは、受験を終えても私の中に留まり続けた。

名を残すヒーローになれなくても、世界を構成する匿名の力にはなれる

ウクライナ大使館の呼びかけた募金に、多くの人が寄付し、傍観者のままでいたくなかった私も少ないながらも参加した。
1か月で20億円に上ったという。そのニュースを聞いて私ははっとした。
世界はあまりに大きくて、私たち一人ひとりはあまりに小さく無力で平凡だ。でもそれと同時に私たち一人ひとりが世界を構成しているのだ、と。
私もあなたも、戦争を止めて歴史に名を残すヒーローにはなれないが、でも匿名の杉並区の主婦たちにはなれるのかもしれない、と。反戦を訴える人々を冷笑する人も、20億円が無力だとあざ笑うことはできないのではないだろうか。

歴史に名なんて残らなくていい。自分の日常を送りながら、平和のために自分のできることをした匿名のその他大勢でいい。私は最近そう感じている。