電車にいた男性は、何故か心配そうに私のお腹の方に目を向けてきた

自分はお姉ちゃんだから、妹にお菓子を譲った。
自分は先輩だから、順番を譲ってあげた。
お年寄りには優しくしないと、と席を譲った。
この前は譲ってもらったから、今日は自分が譲ってあげた。
立場や状況を考えて譲ることは、たくさんある。しかし、譲ることは必ずしも良いとは限らないと感じることがあった。
私の場合、ゆずられたことによって、恥ずかしい思いをしたことがあったからだ。

電車に乗って出かけた時のことだった。年配の男性に声をかけられた。
「ここ、座ってください」と席を譲られたのだ。
なぜだ?特に重い荷物を持っているわけでもないし、明らかに私の方が若い。それなのに席を譲られるってどういうことだろう。私は「大丈夫です」と会釈して断ると、何故か心配そうに私のお腹の方に目を向けられた。
ハッとした。妊娠していると思われていたのだ。
首筋や手首が細い割に、結構お腹の出た体型の私。家族からも「お腹と太ももさえ痩せたらいいスタイルなのに」とよく言われていた。
まさか、こんな場面で勘違いされるとは、と驚きと恥ずかしさで戸惑った。

本当はありがたく思うべきなのだろうけど。戸惑い、複雑な思いに

さらに、彼とデートをした時も同じような出来事が起こった。
乳搾り体験へ行こうと少し坂のあるところを歩いていたら、「お客様!足元お気をつけください。車、上まであげてもらって結構なので!お体の方を大事にしてください」と声をかけられた。
今度は迷わなかった。妊娠していると勘違いされたとすぐに気づいたからだ。
ありがたいよりも恥ずかしさの方が上回った。彼や他のお客さんの前で、妊娠していると思われるほどの体型であることを知られたことが、ショックだった。
自分の体型に問題があるのはわかる。そして、譲ってくれた人たちは、私のことを気遣ってくれているということもよくわかる。
本当はありがたく思うべきなのだろうけど、事実ではないこの状況。恥ずかしさと戸惑いで複雑な思いにしかならなかった。

譲るという行為は複雑だ。私のように、譲られることで恥ずかしい思いをするかもしれない。また、譲られることが当たり前に感じてしまい、譲ってもらえないことに不満を抱く人が出てくるかもしれない。自分の思いを押し殺して譲ったことで、後悔してしまう人もいるかもしれない。譲る、譲られるは一言では語り尽くせない奥深い行為なのだと痛感した。

譲ることで時に人を傷つけて、人の成長を妨げてしまうことも

私にとって譲ることは、必ずしも良いとは限らない。
もちろん譲ることによって救われる人がいたり、譲られることで嬉しい気持ちになったりすることもある。良い行為だと感じることの方が多いと思う。
しかし、時に人を傷つけてしまったり、人の成長を妨げてしまったりすることがある。
譲るという行為が、誰かのためを意識し過ぎて、誰かのせいにしてしまうことにつながりかねないことだってある。せっかく譲ってあげたのに、と譲ったことで感謝を求めることは何か違う。今日は譲ってあげるから、今度は譲ってよねというのも何か違う。

「譲る」という行為一つで、人との関わりが大きく左右されるのだ。
だから私は「譲る」時は、相手のことをよく考えるとともに、誰かのためを意識し過ぎず、自分の意思を貫いていくことを意識しようと思う。
誰かのためと誰かのせいは紙一重。
私は人のせいにせず、相手のことを考えて譲るか譲らないかよく考えて判断して行動に移していこうと思う。