今思うと性被害。「些細なこと」という人もいるけど、私は声をあげる

今思うと性被害。高校一年の時の出来事を、考えないようにしていた

女友達と話していてびっくりするのが、気がつかないうちに性被害に受けているということ。当時は性被害だと認識していなかったけど、実際は声をあげるべき行為をされたことがある女性があまりにも多い。わたしが女友達に、自分の性被害について話し始めると、大概の場合、「そういえばわたしもこんなことがあってね、」と話し始める。そしてその内容は、わたしの経験よりはるかにえげつないものであるということがざらにある。

わたしが今思うとあれは性被害だったな、と思うのは高校一年生の時の出来事だ。友達二人とオープンキャンパスに行った帰り、電車に乗っていた。始めは特急電車で、人でごった返していた車内も、終点に近づくにつれて各駅停車になり、だんだん人気がなくなっていった。1日歩き回って疲れた友達二人は爆睡。わたしだけが起きていて、終点までもう少し、寝落ちしないようにしようと頑張って眠気を覚まそうとしていた時だった。そんな努力をしなくても、それまでの眠気が吹っ飛ぶような出来事がわたしの真横で起きた。

終点まであと二駅、といったところで開いたドアから、飛び乗るようにして一人の男が乗ってきた。そして、車内はガラガラに空いているのに、すごい勢いでわたしのすぐ真隣に座り、座ったが早いか性被害にあたる行為をし始めた。何も言わずに行為を続ける男を目にして、驚きと恐怖で動けなくなったわたしは友達を起こそうとするも、二人とも深い眠りに落ちていてこれが全く起きない。こんな時によくもスヤスヤと、と思いつつ、助けを求めて周囲を見渡すと、隣の車両に乗っていた年配の男性がわたしの助けを求める目線に気がついて、こっちにきなさいと手招きしてくれた。もしかしてこの人もグルなんじゃないかと思って内心警戒したけど、頼ることができそうな人は他にいなかったので、文字通り友達を叩き起こして、そちらの車両に移動した。わたしたちが移動し始めるとほぼ同時に、男は慌てた様子で車両から出て行った。その年配の男性は、終点に着くと車掌に話をして不審な男がいたことを報告してくれた。

その時一緒にいた友達に起こったことを説明すると「え〜なにそれ気持ち悪い笑」ぐらいの感じの反応が返ってきた。温度差があったのが少しショックだったけど、まあそれぐらいの感覚のことだったのかな、と思ってあまり考えないようにすることにした。

話し終えると、それまでと違う感情を持っていた。怒りと強い嫌悪感

それから時は経ち、最近になって別の友達と性被害について話すことがあった。その友達は、その出来事が起こった当時の友達と違って、真剣に話をきいてくれた。そうやって真剣に話を聞いてくれたおかげか、話し終える頃には自分がこの出来事に対してそれまでとは違う感情を持っていることに気がついた。それは見ず知らずの男に性の対象として、自分の意思と反して消費されたということに対しての怒りと強い嫌悪感だった。

日常生活で少し意識を変えてみると、女性だからと軽んじられていると感じることは他にもあるということに気づく。バスに乗っていておじいさんに席を譲ったら、「ありがとう、わしが若い時に出会ってたら誘っとったわ」と言われ、駅では駅員のおじさんに「かわいいね」と言われた。思いやりのつもりでした行為に対してなぜ「ありがとう」ですませばいいところをわざわざセクハラ発言をして台無しにするのか。通りがかりの女性に「かわいいね」というのは褒め言葉だと思っているのだろうか。見知らぬ人に「若い時に出会ってたら誘ってた」とか「かわいいね」とか言われても、全く嬉しくもなんともない。

そんなことで騒ぐなという人だっているかもしれない。でもそういう風に言う人はこれが男女が逆でも同じことを言うのだろうか?もし、女性が日常的にセクハラに当たるような言葉を男性に浴びせている様子を見ても、何にも違和感を感じないと胸を張って言えるのだろうか?Netflix に「軽い男じゃないのよ」という映画がある。この映画はまさにその違和感を映像化した作品だ。男女の立場が逆転した世界で、主人公の男性が上司の女性からセクハラ発言をされる。道端で見知らぬ女性に冷やかされる。今日も「かわいいね」と言われる。主人公の男性はそれまで自分が当たり前に女性にしてきたこと(=セクハラをユーモアだと言って正当化したり、あらゆる女性をナンパしたり)を自分にされて戸惑いを隠せない。男女が逆転しただけでこんなに違和感が浮き彫りになる。反対にそうでもしないとその違和感を感じることができないほど、女性軽視が未だに根強く存在しているという事実に嫌でも気がつかされる。

この不公平さに立ち向かわない限り、社会の当たり前として通用する

何気なく過ごしていたら、何にも思わないかもしれない。大したことじゃないと自分に言い聞かせて、その時感じた少しの違和感をなかったことにできてしまうかもしれない。「些細なことなんだからスルーしたらいいのに、そうやって目くじら立てちゃって、自分で自分を苦しめているだけじゃないか」と思う人もいるのかもしれない。でも、そのように感じる人達にここで書いたことは本当に些細なことなのか、よくよく考えてみてほしい。わたしは自分で自分を苦しめるために、些細なことをおおごとに仕立て上げて騒ごうとしているんじゃない。こうやって自分が感じたことを書くことで、女性がこんな目に遭わないようにするために、自分で自分を救うために、「そんなこと当たり前だ」と言う声に、わたしの声を押さえつけられないようにしたいだけだ。

一方的に性の対象にされたり、勝手に消費されたりして、それがトラウマとして残ったとしても、それを克服するのはいつだってわたしたち女性だ。わたしが望んだわけじゃない。何にもせず、ただ席を譲った時も、ただ改札を通りすがった時も、見知らぬ人に性の対象にされた。でも、それを取り除く努力をしなければならないのはわたししかいない。これってとっても不公平だと思う。でもこの不公平さに立ち向かわない限り、これがずっと社会の当たり前として通用することになる。だから、大きなことはできなくても、少しの違和感をなかったことにしないために、こうやって声をあげることはやめないでいようと思う。

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