「思い出を作ろう」と、その子は言った。
そしてその後に、顔をぐしゃぐしゃにして泣いたのだ。
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2016年4月14日、熊本県で最大震度7を記録する熊本地震が発生した。
これまで大きな地震に見舞われることがあまり多くなかった九州で、まさかの大地震。
その年の4月に、故郷である鹿児島から神戸の大学に進学していた私は、地元九州での震災ということで、いてもたってもいられずに、大学の学生ボランティアメンバーと一緒に発災1週間後の熊本にボランティアとして向かうことにした。
18年育った九州の土地は、雄大な自然が魅力の自慢の場所だ。その年の4月に初めて九州を出て関西の土地を踏んでから、私はその唯一無二性をひしひしと感じていた矢先であった。
まだ春が遠慮がちに伺いのぞいているような、暖かくもなりきっていない気候の中で、地面にヒビが入り、建物が倒壊し、そして度々余震が起こる被災地は、心細さと無念さを含んだ空気がじっとりと渦巻くような独特の空気を孕んでいた。
私たちが派遣されたのは、避難所になっていた小学校だった。そこは、片付けや救援活動に忙しい大人が面倒を見ることができない子供達の遊び場となっており、そんな子供と遊ぶのがボランティアの活動内容だった。
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遊び場の空き教室に入ってすぐ、小学校1年生くらいの可愛らしい女の子が声をかけてきた。
「お姉ちゃん、思い出を作ろう」
衝撃だった。なぜならこの子は、こうやってやってくるボランティアとの出会いが全て一期一会であり、もう二度と会えないということを、この幼さで理解しているのだと分かったからだった。
余震も続き、大人達が出払い、水道は開通せず、学校はお休み。そんな状況の中で、この小さな子は何度寂しい思いをしたのだろうか。
「思い出を作る」という唯一の生産性に当たる言葉を見つけるまで、この子はおそらく何度もその寂しさに耐えたのだ。
私がここにきたことに、意味はあったのだろうか。この子の寂しい経験を、増やすだけなのではないか。
そんな私の思いとは裏腹に、その小さな女の子は終始笑顔で一緒に遊んでくれた。お絵かきやシャボン玉など、年相応の可愛らしい遊びを、本当に嬉しそうに、無邪気な笑顔で、ずっと楽しんでくれた。
お天気の良い土日だった。
最初に熊本の地に降り立った時に感じた重苦しい空気はどこかに消えて、外に陽気が満ちて暖かいような不思議な気持ちになれた。
その子と一緒に遊んでいる間だけは、私も心からその時間を楽しむことができた。
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やがて帰る時間になり、私はその子に「一日遊んでくれてありがとうね」と伝えた。
その子はその言葉を聞くなり、泣いた。
「帰らないで。明日も来て」
「思い出を作ろう」と気丈に振る舞っていたその子が見せた、その日初めての涙だった。
帰らないで。明日も来て。
明日も会いたい。ずっと会いたい。
私がここに来たことに、意味はあったのだろうか。私は、このような状況の被災地に、何か役に立てていたのだろうか。この子の寂しい経験を、増やしただけなのではないだろうか。
私は、無力だった。
「ごめんね。お姉ちゃん明日は来れないの。でも、またきっと来るね」
その約束は未だに、果たせていない。
何かの問題に立ち向かいたいと思った時、誰かの心に寄り添いたいと思った時、きちんと効果を出せるような関わり方ができるようになりたい。
そのような思いから、私は社会課題を解決するという文脈のスタートアップに関心を持ち、今日までその世界で生きている。
自分が1人の小さな女の子の寂しさを何も解決することができなかったこと、約束を果たすことができていないこと、
それらは忘れてはいけないことだ。
「思い出を作ろう」という気丈な言葉と、「帰らないで」という寂しい本心を忘れずに、今日も少しでも前向きで成長した自分になりたいという思いを胸に、私はここで生きている。