自分は気分屋なんだと思っていた。学生時代の友人も、同居中の恋人も口を揃えてそう言うから。無邪気にケラケラ笑っている日もあれば、ぶすっとして世界を睨みつけている日もあるらしい。
個人的には、前者が通常モードの自分であり、後者は月に何度か訪れる「何かがおかしい」日だと思っている。世界の何にも心が動かないし、誰の言葉もおもしろくない。心が鉛のように重い。やる気があるとかないとかの次元ではなく、生気が吸われたような感覚。
「何かがおかしい」日への対処法は分からず、人を遠ざけ「無」になることで、自分と周囲の人を守ってきた。

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社会人になり3年目の春、コロナ禍での働き方の変化に順応しきれなかった勤務先は、社員間のコミュニケーションに課題を抱えていた。在宅勤務者は互いの業務内容を知らず、同じ部署の同僚でさえ顔と名前が一致しなかった。入社時からお世話になった先輩はおろか、上司の無茶振りに愚痴をこぼし合う相手もいない。絶賛テレワーク中だった私は、未経験の業務を1人手探りで進めなければならなくなり、精神的に追い込まれた。パソコンに向かえば涙が止まらず、ここがオフィスではないのをいいことに、涙と鼻水を垂らしながら仕事をする日が続いた。
今の私は何かがおかしい。何がどうと言われると言葉にしづらいが、正常ではないことは分かる。頭の片隅、かろうじて正常に動いている脳の一部がSOSを出していた。近場で評判の良いメンタルクリニックを調べ尽くし、「直近で予約可能な日はいつですか?」と縋り付くように電話をかけた。

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訪れた初診の日、何を話すべきなのかよく分からず、メンタルの不調を感じるようになった新卒時代からの出来事を年表にしていった。そういえば最近の不調は生理前の時期だったから、PMSが関係しているかもしれませんと注釈を入れた。
医師は淡々と情報を聞き出し、時折なるほどね、と呟く。年表の裏に書いた今後の希望(現時点で休職は希望しない。年度末を目処に転職を考えている等)をふまえ、不安感を抑える薬を出してくれるそうだ。
年表の解説は終わり、処方箋ももらえて一安心。初めての心療内科というものへの緊張が緩んだ時、医師は「最後に血液検査をしてからお帰りください」と言った。
血液検査?心療内科で?本当に失礼な話だが、心の底から「ぼったくられるな」と思った。しかし、近場で評判のいいクリニックはいくつも無い。言われるがままに血を抜かれ、少しもぼったくりではなかったことを次の診察で知る。

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医師は相変わらず淡々と話す。どうやら私の体は超元気!という訳ではなく、フェリチンというタンパク質の数値が低く貧血を起こしやすいらしい。

「これまで月経前に頭や体が重い、ダルいと感じたことはありませんか?」
医師は聞くが、体感としてはよく分からなかった。中学生の頃、生理痛が重い友人が「冗談抜きでベッドから出られない」と言っていたから、自分は症状が軽い、ラッキーなんだと思い込んで生きてきた。そりゃ生理前は頭も体も重いしダルい。でもそんなのは、誰もが我慢している当たり前のことだろう。
「この数値は、宗教上の理由で肉を食べない国の女性と同じくらい低いです」
医師は分かりそうで分からない具体例を出してくる。
「今までこの体で生きてきたから慣れてしまったかもしれないけれど、フェリチンの数値があがれば症状を改善できるかもしれません」
ぼったくり扱いしていた医師の言葉を信じて3ヶ月、基準値ギリギリと言われていた数値は上昇し始めた。

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不安を抑える薬と鉄剤を併用し続けた結果、もちろん個人差や気分の波はあるだろうが、明るい気持ちで過ごせる日が増えた。特に、生理前の気分の落ち込みやイラつきが全く無くなり、精神的な不調から「そろそろ生理かな……」と予測ができなくなったことには困惑さえ感じた。
毎日3回、処方された薬を飲みながら考える。もしかしたら、体の異常は気分屋と言われる性格にも関係があるのかもしれない。自分の機嫌を自分でとれる人になりたくて、なれなくて悔しかった。一人前の大人ではないと言われているようで苦しかった。
しかし、私にとっては、心をコントロールする前に万全な状態の身体を手に入れる必要があったのかもしれない。そう思うと、心が重い日には人を遠ざけることしかできなかった自分を慰めたくなった。何より自分を責める材料がひとつ無くなり、医師や薬という味方が増えたことが心強かった。

「心療内科」と聞くと、ハードルが高いように感じる気持ちはよく分かる。しかし、あの時すがる思いで電話をかけていなかったら、精神的な不調・生理前の不調に今でも悩まされていただろう。
風邪を引いたら病院に行くように、心の不調も病院に行けば改善する可能性があることを多くの人に知ってほしい。