辛い時は、無理してはいけない。それは誰だってそうだ。
辛い時、みんなはどのように解決しているだろうか? 話すことができる相手がいるか、いないかで恐らく変わってくるだろう。私は、話すことができる相手がいる。
しかしそれは、ほんの少しの安らぎとでも言おうか、一瞬のものであって何の解決にもならなかったのだった。

「心療内科」への否定的なイメージは、以前より少なくなった気がする

誰かに頼りたいと切実に願った結果、私は心療内科の先生を頼った。犬山紙子賞を見た時、このことを思い出した。

「心療内科は、患者を薬漬けにする。だから行ってはいけない」。そんな文言をよく目にする。主に、SNSでだ。
心療内科自体に否定的な人が昔よりは少なくなった気がするが、まだいる。心療内科のイメージは人によって様々。露骨に否定する人は否定をする。
心療内科に通っていることは、誰にも話せない秘密として共有される。「心療内科に通ってる」と言えば、驚きの顔というより「ヤバイ人」というレッテルが貼られるからだろうか。

それでもここ数年は、芸能界という表舞台の方々が、はっきり「心療内科に通っている」と言うようになった。いつの間にか、少しだけ言いやすくなった。そのような風潮のせいか、以前よりオープンに語られるようになった気がする。

「心療内科に通っている」と伝えたらどう思われるかと、受診をためらった

私が心療内科に通うようになったのは、2021年5月末からだ。同年4月に精神的にダメになってしまうような出来事があって(敢えて詳しくは触れないでおく)、私自身壊れそうになった。何も手に負えなくなったのだ。

食べたものを片付けることも、お風呂に入ることも、眠ることすらできない。何もしない、ただベッドに座ってるだけの私。
その時、真っ先に母に連絡した。今まで似たようなことが何度かあったが、母に喋り倒し、時間の流れに身を任せた結果、どうにか私の心は安定を取り戻した。
しかし、今回ばかりは違った。人生で初めてだったので、弁護士の先生にも相談をした。それでも、不安は消えなかった。

5月になっても症状は治らなくて、私はどうしたらいいのかわからなくなり、通えそうな心療内科を探した。
数日に一度、何もできないことが夜に起こった。ある時の自分の部屋は、かろうじて歩けるレベルの床の汚さだった。物を床に撒き散らし自分でぐちゃぐちゃにしたのだ。他にも様々な症状があり、続いた。
心療内科を探しては、自分のイメージを考え躊躇った。
私がもし心療内科に通ってるという事実を他人に伝えたら、伝えられた相手はどのような顔をするだろうか?
私を「ヤバイ人」「頭がおかしい人」と見るだろうか。それともただ単に「可哀想な人」と見るのだろうか。
正直怖かった。何か周りに言われるのではないかと。だからはじめは行かなかった。

他人にどう思われようが、私の心が少しでも健康になるのであれば良い

しかし、ある時、突発的にどうしようもないと思い、通いやすそうな心療内科に思い切って予約を入れてみた。予約ボタンを何度躊躇って押せずにいたかわからない。
自分が他人にどう思われようが、私の心が少しでも健康になるのであれば良い。試しに行ってみることにした。

それから今も、1ヶ月に1回心療内科に通っている。先生によるカウンセリングを受け、薬の量を増やしたり減らしたりしている。回復の兆候は少しずつだがある。
私が心療内科に通っているという告白を受け、少しでも誰かの勇気になればと思う。私は、心療内科の先生に頼った。