成人して早8年。選挙権が与えられ、今まで欠かさず行使してきた。選挙へ行くことは親が当たり前のようにしていたから、何の疑問ももたずにそうしていた。
誰かとの会話で、選挙皆勤賞です、と言うと、大抵の人は感心したように褒めてくる。若いのに偉いね、と。
いやいや、義務を行使しているだけなのに褒められるなんて、世の中やばくないかと思っていたのだが。
実は私も別の意味でやばい。投票した結果、世の中がどう変わったのか。その一番重要なところを全く知ろうとしていないからだ。いや、見栄を張るのはやめよう、ぶっちゃけ投票した人が当選したかどうかも、未だ知らない選挙が多々ある。

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票を入れる前に、私は選挙公報を読む。しかし、毎度いまいち理解しきれない。政治に対する基礎知識がなさすぎるからだ。
早々に諦めて、インターネットの力に頼る。出馬する人、それぞれの所属、公約などが端的にまとめられたホームページや、それこそ1枚の画像にまとめられたものなどがネットにはたくさんあるのだ。そこでやっと、誰が何をしようとしているのかを把握する。こうなって欲しいな、と思う人に決めて、あとは投票日まで名前を忘れないようにすればおしまい。

一旦、その後を知ろうとしない自分の非を棚に上げさせてもらいたい。そして、選挙公約が守られなすぎ問題を提唱したい。

例えば、「子供手当増額します!」と言って当選したとしても、別に守らなくていい。法的な罰則は存在しない。逆に達成してもインセンティブはつかない。そこで、当選するための綺麗事、大言壮語を掲げる輩が蔓延るようになる。いかに票を獲得するか、公約はまるで詐欺師のプレゼンテーションだ。
2012年、政権交代が起きたときにそう感じた。民主党が最初に掲げていた公約が大崩壊、民の信頼を失った結果の交代である。政策の廃止、断念、未実現のオンパレード。
当時18歳、もうすぐ成人だった私は今より政治に興味があった。それ故に衝撃を受け、更に選挙そのものに不信感を持った。

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公約は国民との約束。これをするからあなたの票をくださいってことだよね。なのに、めっちゃ破るじゃん!
投票しても、何も意味がないんだ。
なら、選挙公報やネットで調べて投票者を決めることも無意味では。でも公約以外に、その人や党へ私の票を投じる根拠は存在するだろうか。そんな虚無感も投票用紙が郵便受けに届く度、感じている。
求めるのは、明言した約束を守ってほしいということ。幼な子でもできる。全てを達成することは不可能でも、せめてその方向へ進む気概を見せてほしい。
本来、国民である我々が監視しなければならないのだろう。約束を破ったら、不支持を表明する。私はもう、支持したいと思うのも難しくなっている。一応、公約で投票者を決めている。でもどうせ守られないから、その後の世の中も、結果すら興味を持てない。
卵が先か、鶏が先か。公約を守るのが先か、一国民として政治に興味を持つのが先か。このままではいけない、ということは分かっている。