私はやる気がでないとき、どうしてもうだうだしてしまう。
動きたくもないし、できれば考えることもしたくない。思考停止をしたい。
けれども、「何も考えたくない」と考えてしまう。結局は何かしら考えているのだ。

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やる気がでなければレポートも書けないし、どこかに出かける気にもなれない。
大好きな本だって読む気にもなれないし、ご飯も作る気になれない。
そんな状態に陥ってしまったら、私はやる気がでるまで寝るしかない。
いわゆる「寝溜め」というやつだ。

寝溜めはきっと体に良くないことだろう。
起きられる状態でありながら、「やる気がでない」という理由だけでベッドに居続けることになる。
これは贅沢な時間の使い方だが、一方でもったいない時間の使い方でもある。
私はずっと寝続けることができる体質なようで、お昼寝と合わせて18時間以上寝ていたことがある(しかも最近)。
18時間寝るということは、一日の中で起きている時間はたったの6時間しかない。
通常の睡眠時間が8時間くらいだとすると、私は他の人が勉強したりショッピングしたりしているであろう10時間を睡眠に費やしていることになる。
この事実に気づいてしまうと、「やっぱり、寝溜めは良くないから起きないといけないなぁ」と思う。
けれども私にとっての寝溜めは“充電期間”でもあるのだ。

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今の時期は卒論や就活、アルバイトなどの活動に追われ、さらにサークルの引き継ぎもしなければならない。
一日が一瞬で終わってしまうと感じてしまうこともある。
忙しない日々を一週間、それ以上続けていたらきっと身がもたないだろう。
私はストレスを抱えやすく、以前突発性難聴になったことがある。今は完治したから良かったものの、治療が遅れていたら耳が聞こえなくなっていたかもしれない。
そのような恐怖から、ただがむしゃらにやる気を奮い立たせて、やるべきことをこなすことは私には無理なのだ。

やる気がでないからこそ、やる気を奮い起こさなければならないと考える人もいるだろう。
しかし、私の場合はそのようなことをすると、むしろ体を壊しかねないのだ。
だからこそ、ぐでぐでしながら、贅沢に一日を睡眠という時間に使って、やる気を回復させるために充電しなければならないのだ。
やる気を回復させた私は、表現ができないほどテンションがマックスになる。寝溜めしていたときに温存していたテンションが、目覚めとともに覚醒するのだ。
これこそ睡眠の偉大さ。寝溜めの強さなのだ。

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やる気がでなかったら、グダグダしたっていいじゃない。
まだ寝たいと思ったら、寝てもいいじゃない。
何もやりたくないと思ったら、何もしなくてもいいじゃない。
みんな、自分に厳しすぎるのだ。
自分の時間は自分のもの。誰にとやかく言われようと、自分の好きにしていいのだ。

「そんなに寝たら時間の無駄だ」と私もよく他人から言われるけれど、そんなことなど今はどうでもいい。
全て自分が満足すればそれでいいのだ。私が寝ることで他人に迷惑がかかっていないのならば、私はこのまま寝溜めを続けるつもりだ。

だってそれが、私がやる気がでないときに行う習慣だから。