私が「元気」のためにしていること。
それは特別なことではない、毎日誰もがしていること、そう、“睡眠”だ。
なんてことない日常も、十分な睡眠を取ることで元気がでる。
そして傷ついた時は“努めて”寝る。わかる人にはわかるだろうが、これはかなり効果的だ。

失恋で傷ついた私はひたすら寝た。再び元気生きることができた

例えば失恋した時。私は昏々と眠り続けた。
自分の中だけで完結する失恋だった。決定的なことを言われたわけではなかった。
しかし確かに状況が告げる終止符を私はしっかり理解し、傷ついた。

何度も何度も頭の中でリピートしてしまう悲しい現実。心もすっかり疲れ果てて、その頃私はしばらく1日の半分を寝る勢いで寝た。

仕事から帰宅して最低限のことをすませ、悲しい思い出に溺れる前に、ひたすら寝る。
そうすると、1週間もする内に傷が癒えてくる。私は再び日常を元気に生きることができた。

これは持論だが、きっと十分に寝ることで、起きている間に考えてしまう、悲しい事・つらい現実のリピート時間を減らしてくれるのだ。そして、おそらく科学的にも証明されている
だろうが、睡眠は確かに元気を取り戻すのに重要な時間だ。

会社で派手に怒られた。私は眠り、広大な自然の中で心を洗い流した

そう長くはない、けれど短くもない二十数年を生きる中で、私は何度も傷ついてきた。何度も傷ついて立ち直ってきた人生で、睡眠の効果は幾度も実証されてきた。
しかしさらに、特に大きいダメージを受けた時は、元気回復のためのプラスα、“自然を感じる”ことだ。自然の中で思いっきり泣いたり叫んだり。ありきたりな方法かもしれないが効果的だ。

例えば、会社で派手に怒られた時。私は昏々と眠り続けた。
そして休みの日に、理解してくれる友人と連れ立って、夜の鳥取砂丘を走り回った。夜空の星を眺めて、日本海の荒々しい波音を聞きながら。

辛かった。翌朝上司に直々に謝らないといけないという現実は。辛かった。周りの人にも迷惑をかけているという失敗が。

20後半にもなって呼び出されて怒られるのはなかなかのストレスだ。一度の鳥取砂丘では“自然”が足りず、その後も山道をドライブしたり、海を眺めたり、滝を見に行ったりもして心を洗い流した。

広大な自然を感じると、どこか自分がちっぽけに思えてきて、悩んでいることもだんだんすっきりする。
他にも、夢破れた時、挑戦が失敗に終わった時、私は河原の小蔭に隠れてひっそりと、でも思いっきり泣いたっけ。そしてもちろん、昏々と寝たのだ。

睡眠は元気の源。私の元気回復方法は「冬眠療法」と「心の洗濯療法」

これが私の元気回復方法だ。名付けて「冬眠療法」と「心の洗濯療法」。
そして日々の元気維持にも、もちろん睡眠。もしかしたら私は“睡眠”という単純で当たり前の行動で元気が回復できるラッキーな人間なのかもしれない。

確かに、この方法は私に向いている。現に何度も悲しみから立ち直ってきたし、日常の生活の中でもお昼寝の後に元気の回復を感じるし、快適な睡眠が取れた朝はみなぎる元気を感じるのだから。
しかし、実は睡眠は、多くの人に多かれ少なかれ当てはまる、元気の源だ。私に特別なことではない。

「マズローの欲求五段階説」をご存知だろうか。人間の欲求を5段階のピラミッドのように理論化したものだ。

頂点には自己実現の欲求があり、人間は自己実現に向けて絶えず成長するものだと仮定している。自分の内なる願いや目標を社会で実現するには、そのピラミッドを階段のように一段ずつ登っていかなければならない。下に位置する欲求を一つずつクリアして初めて上の段階に行ける。その五段階の、最下位に位置する欲求が何か、ご存知だろうか。
「生理的欲求」、つまり、食欲や睡眠欲なのだ。

私にはたまに、1日の中で“疲れ”を感じてしんどくなり笑えなくなる時がある。この“疲れ”という私の笑顔を妨げるものは、睡眠欲ではなかろうか。

私達は忙しい日々を生きる中で睡眠を蔑ろにしがちだ。
私は、元気がない、そう感じる時まずは十分な睡眠の確保から始めるようにしている。