私は人が多いところが苦手で、毎朝の通勤電車を入社当時よりも三本早くしている。
睡眠時間を削ってでも人との距離を一定程度確保したい体質なので、コロナのご時世にはちょっと感謝している。
そんな私が学生時代、もっとも苦手だったのは、体育の授業だ。

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仲が良いわけでもないクラスメイトとペアになって、至近距離どころではない距離で、かすかな体温を感じながら、おそるおそる力を加減し、準備運動の補助をする。
足首を掴んでいても、ひざを押さえていても、これでいいのだろうか、相手は嫌がっていないだろうか、そんなことばかり考えてしまい、運動をする前からうっすら汗ばむ。
さらに運の悪いことに、私は圧倒的に運動神経が悪かった。
そうなれば先生のみならず、クラスメイトみんなが上達につながるテクニックを教えに来てくれた。それが私にとっては何より一番苦痛だった。
大人数に囲まれ、どこからともなく伸びる手に身体のあちこちを押さえつけられたり、無理やり持たれたりして、
「ほらこうするんだよ」
「こうやったらできるよ」
ろくに運動もできないくせに、と言われそうな気がして「やめてほしい」とも言えず、
ただされるがまま、できるだけ全員の意に沿えるように、身体の隅々まで神経を張り巡らすことに精一杯だった。
上手くできなければ、またがんじがらめの操り人形になってしまう。
そう思うと緊張はどんどんと高まっていった。
緊張に比例するように、体の動きはどんどん鈍くなり、結局同じことが繰り返される。
体育の授業はいつも私にとって拷問に近かった。

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そんなことが続くと、体育の授業の後は体が重くなり、だるさを感じるようになった。
それだけでなく、古典の授業を受けていても、化学を受けていても、「次が体育だ」と思うと後半から身が入らなくなってしまう始末だった。

いよいよこれは友達に相談してもいいかもしれない、と同じクラスの友達に相談したところ、
「でもさ、あれいつもなんか楽しそうじゃん」
そう言われた瞬間、足元が抜けたように感じた。ぬかるみにはまってしまったように、力を入れてしっかり立つことができない。焦ってぐらぐらする足元を見ても異変はない。
ああ、今まで私が真剣に悩んできたことは、周りから見れば一種の「いじり」にしか見えていなかったのだ。
運動が下手なことをクラス全員に知らしめられた挙句、手や足をおもちゃのように扱われて、自分の意志で自由に動かせないのに、不快に思わない人がいるのだろうか。
へらへらしている私が良くないのかもしれないが、あからさまに嫌な顔をする度胸も、私は持ち合わせていない。
どうすればいいのだろうか。
この整理がつかないもやもやは、その後誰にも言えないまま中学校、高校と六年間持ち越されていった。

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あの六年間の体育の授業のせいで、私は人との距離に敏感になってしまったのかもしれないし、
もしかしたら先天的な性質かもしれない。
その答えはでないし、出す気もない。
あの時の気持ちや状況にも、綺麗な結論や納得できる答えがあるとは思っていないし、なくてもいい。
もやもやする気持ちがあったということを、そのまま受け入れるという選択があってもいいと思う。
そう思えるようになっただけでも私は成長しているのだ。
毎朝少しゆとりのある電車に乗りながら、
「こんな私も悪くない」
と思う。