「少しは身体を動かす楽しみを分かってくれたかな?」
中学校最後の体育の授業。担当の女の先生は一人一人にメッセージカードを書いて手渡してくれた。私のカードにはそう書いてあった。
ああ、この先生ちゃんと見てたんだなと安堵する気持ちと、内申点稼ぐためっていう不純な動機で頑張っててごめんなさいという気持ちが入り交じって涙出た。
体育の授業なんて大嫌いだった
幼い頃から遊ぶのはもっぱら屋内。体育の授業なんて大嫌いだった。暑い中あるいは寒い中、何で横っ腹が痛くなるまで走らないといけないのか。ボールに一度も触れないままゲーム終了するほど苦手なバスケやサッカーをしないといけないのか。サーブが全然入らないバレーやバドミントンの楽しさなんてちっとも分かんない。なんでこの世に体育の授業があるか恨みたくなるほど嫌いだった。
小学校は苦手でも駄々こねて逃げ切った。しかし中学校は逃げ切れない。何故なら高校受験に必要な内申点を稼がないといけなかったから。
3年間私たちの学年の女子の体育を担当したのは定年退職間近の女の先生だった。中学にいる体育教師の中でも一番厳しい先生で、真冬に雪が降っても長袖のジャージを授業中に着させてくれなかった。ちょっとでも気のたるみを見せると大声で怒られた。公立トップ校を目指していた私は、実力では全然成績伸ばせそうもない体育を「せめて関心意欲態度の面では最低限内申点を取っておこう」と、いかに「苦手だけどやる気は十分あるんです」オーラを出すか考えて授業を受けていた。唯一、夏場の水泳だけはスイミングスクールに通っていた経験をフル稼働して「泳げるよアピール」をしてなけなしの実力点を稼いでいた。
地道なストレッチで身体が柔らかくなって、だんだん楽しくなってきた
そんなある日の体育で、ハードル走をやることに。ああ、また走るのか。ハードル、脛にぶつけたら痛そうだな、なんて考えていたら。先生が言った。
「ハードルを跳ぶための準備体操をします」と。ハードルを跳ぶ瞬間、いかに走るフォームを綺麗に保ちながら腰の高さを変えずに脚を上げて跳ぶか、が肝らしい。
股関節や太腿裏を柔らかくする為に片足だけ前に伸ばして前屈したり、腿やお尻の筋肉を伸ばしたりするストレッチが主な準備体操の内容だった。最初は身体がカチカチで痛かったけど、深呼吸しながらゆっくりじわじわと負荷を掛けていくと数ミリ、数センチ、手が足先に近づいた気がした。
「お風呂上がりにも少しずつやってみなさい」。その晩、体育の授業で教わったストレッチをやってみた。痛いけど、何か気持ちいいし、何か自分が身体柔らかい人になってるような気がする。憑りつかれたように毎晩風呂上がりと、週数回の体育の授業のストレッチに黙々と取り組んだ。
たかがハードル走の為の準備運動だけど、大嫌いな運動だけど。地道なストレッチでこんなに身体が柔らかくなって、だんだん楽しくなってきた。世の中には横っ腹が痛くならない運動もあるんだ。これなら私にもできそう。身体が柔らかくなると姿勢が良くなって、血の巡りも良くなった気がする。少し健康になった気もする。それに授業の回数を重ねるごとに「ここまで手、届くようになった」「こんなに曲げれた」と、準備運動のペアの相手にも分かるくらい身体が柔らかくなっているのが嬉しかった。
体育には芸術的な面もあるんだと思った
中3の3学期。グラウンドが雪でドロドロになった時、授業内容を変更して先生が図書室でシルク・ドゥ・ソレイユのDVDを見せてくれた。先生の趣味だという。体育といえばスポーツ競技のイメージばかりだったが、芸術的な面もあるんだと思った。
その日の感想シートは欄がびっしり埋まるくらい沢山書いた。そして数日後、最後の授業で先生からあのメッセージカードをもらった。
中学を卒業して8年後。大阪中之島特設会場でシルク・ドゥ・ソレイユのショーを初めて生で観た。言葉は分からなかったけど、ストーリーは何となく分かった。人間離れした技を軽々と、次々にやっていくキャストたち。胸を打たれた。
中学の時に映像を観ていなかったら来ることはなかった。また観れる日が来たらいいな。
一日の終わりに黙々とストレッチをしている時間が今、一番好き
今も私は風呂上がりのストレッチを細々と続けている。YouTubeで良い感じの動画を見つけては真似してみる。
最近は寒くてすぐに湯冷めしてしまうから、身体が温まっているうちにいかに早く丁寧にスキンケアとヘアケアとストレッチをするか、時間と勝負している。一日の終わりに黙々とストレッチをして、自分の身体と筋肉の筋と向き合っている時間が今、一番好きだ。
そう思えるようになったのは中学の体育の先生のひとことだった。