私はこどもがほしくない。
ほしいと思ったことがない。

私の場合、「子ども」という生き物が嫌いなわけではない。
友人が子どもを連れてきたら、それなりにかわいいと思うし、子どもと遊んだりすることを特に苦には感じない。

それでも、自分の子どもはほしいと思わない理由。
それは、自分と同じ“生きづらさを抱えた人間”を、この世にまたひとり、増やしてしまうだけなんじゃないかと思うからだ。
それと同時に、自分はいざ子どもが産まれてきたとき、自然と愛することができるのか、自信がない。

親に愛されずに育ったわけではない私は、家族という場所が苦しい

「どんな大変なことも吹き飛ぶくらいかわいい」
「どんなことをしてでも守ってやりたい」
子どもを産んだ友人達が口を揃えて言うようなこと。
産まれた子どもを目の前にして、果たして自分も同じように思えるのだろうか。そう考えると、怖くなってしまう。

親に愛されずに育ったわけではない。
社会人になってひとり立ちするまで、衣食住なに不自由なく育ててもらったし、いきたい大学にもいかせてもらった。
両親なりに愛情を持って育ててくれたことはわかっているし、恵まれた環境に感謝もしている。
でも私は、「家族」という場所が苦しかった。
その日の機嫌によって、優しかったり、すごく怒ったりする父に、いつもビクビクしていた。
親の決めた習い事をして、親の決めた高校に通って、親の求める成果を出さないと、愛されない気がしていた。
「家族」は、私が私らしくいられる居場所ではなかった。

自分中心に生きてきた人生が、子供中心になることを喜べない

自分の家庭がどうなるかは、自分と相手の人次第。
そんなことはわかっていつつも、世間がイメージするようないわゆる“幸せな家庭”、“家族仲の良い家庭”を築けるイメージが私にはまったく湧かない。

同時に、今まで自分のため、自分中心に生きてきた人生が、子どものため、子ども中心の生活になることを、自分はまだ素直に喜べないのではないか、とも思う。
きっとまだ、そうなることを幸せに感じられるほど、私の精神年齢は大人じゃないし(一生そうかもしれないが)、やりたいこと、犠牲にしたくないもの、自由に過ごしたい気持ち、いろんな思いがまだ自分の中で“完了”していない。

だから、私は子どもがほしいとは思わない。
正確には、子どもを持った自分がどういう感情になるのかが、まだ怖い。
そんな、無責任でマイナスな感情のまま産んだって、子どもも私も幸せじゃない。

男性にとって「需要がある女性」は、やはり子どもを欲しがる女性

でも、世間には、子どもがほしいという女性こそが「素敵な女性」だという暗黙の風潮がある。
子どもが好きで、いつか結婚して子どもを持つことを夢みていて、「幸せな家庭」を作りたいと素直に願っている女性。
そんな女性が、男性に「需要がある」女性だ。
生物の本能的に言ったら、男性は子孫を残したいと思うものだから、当然と言っちゃあ当然なのかもしれない。
でも、「子どもはほしくない」と言うだけで、自分自身の容姿やらは性格やらは関係なく、「女性らしくない」と言われてしまう。
「男みたいな考え方だな(笑)」「嫁にしたねえ(笑)」と、心ない言葉が飛んでくる。

「自分は子どもがほしいと思っているから、同じように子どもを持ちたい人と結婚したい」
そういう話なら、わかる。将来のビジョンが同じ人と一緒になりたいと思うのは当然だ。
でも、なんとなく、それだけじゃない気がする。
「子どもがほしいと思っているかどうか」が、女性としての価値そのものを左右しているような、そんな視線を感じるのだ。

子どもへの気持ちと、女性らしさは似ているんじゃないかと思った

前に、乃木坂46の齋藤飛鳥さんが、こんなことを言っていた。
「アイドルは、ずっとかわいくいなきゃいけないと思っていた。犬がいたらかわいいと言って、子どもがいたら寄っていかなきゃいけないのかな、とか」
その感覚と、似ているんじゃないかと思う。

いろんな女性がいていいはずなのに、子ども好きで、子どもをほしがっている女性だけが“正”とされている。
男性側が、現実的に子どもをほしいと思っているかどうかに関わらず(というか、そんなことはたぶん真剣には考えてなくて)、「子ども好き=いい(女の)子」この方程式が、男性の中で勝手に成立している。

そして、そう思っているのは実は男性だけじゃない。
彼氏や夫の両親に会って、「子どもはほしいと思いません」と言える女性なんてたぶんほとんどいない。
それは、子どもがほしいという女性こそが、「いい子」で、結婚に相応しいと思われていることをわかっているから。

思ってもいないのに「子どもがほしいフリ」をする。生きづらい世の中

だから、本当は思っていないのに、子どもがほしいフリをする。
きっと、本当はそうでもないのに、子ども好きなフリをしている人も、いると思う。
「どうみられるかなんて気にせず、本当のこと言ったらいいのに」
そんなふうに言われてその通りにできるほど、自分は強くないし、世間は優しくない。
きっと、悪気がある人なんていない。
そんなことで傷ついている女性が実はいる、なんてことに気づいてすらいないだけ。

生きづらい世の中だな。
そんなことを思いながら、誰にも伝えることなく、これからも女性として、生きていくんだろうな、と思う。