好きなことをするたび言われた「〜なのにもったいない」

私は小学生の頃から「もったいない」と言われることが多かった。怒られているわけじゃない。何かを無駄にした訳でもない。

私はズボンが好きだ。スカートは苦手。
オーバーサイズやゆるい服が好き。フリフリやレースは嫌い。
水色が好きでピンクが苦手。
髪はロングにしたくないからずっとショートカット。
運動は不得意で本を読むのが好き。
これが大まかな私。

「かわいいのにもったいない」
褒め言葉のつもりだと思うけど、まったく嬉しくなかった。
「女の子らしい格好しないなんてもったいない」
女の子らしい格好を求められても、私はボーイッシュな格好が好き。私は私が好きな服を着たい。だからいつもズボンを履いてたしシャツやパーカーばかり着ていた。
「たまにはスカートも履けばいいのに。かわいいのにもったいない。」もったいないってなんだろう。私は自分が好きな服が着れて幸せなのに。

「背が高いのにスポーツしないの?もったいない」
運動が不得意なのは悪いことなのだろうか。
私は暑いのも寒いのも苦手だし運動も得意じゃない。だから室内で友達とまったりお話しするし、本や映画の世界に浸ったりする。
「背が高いんだから、バレーとかバスケをしたらいいのに。せっかく高いのにもったいない」
背が高いとスポーツが出来なきゃいけないのか。なぜ出来ることが前提でがっかりされないといけないのか。
私は好きなことをして幸せだったのに、そんな生活を「もったいない」と言われる意味が分からなかった。

もったいないに応えるように行動する私を変えた恋愛

小学生の頃からそんなことを言われ続けた私は、いつしか、たまにはスカートも履かないと。体育ではちゃんと活躍しないと。そんなことを思うようになっていた。だってそうするだけで褒められる。中学生になって、運動部に入部した。部屋のカーテンはピンクにしたし、結べる長さまで髪を伸ばしたりもした。

「女の子らしくていいね」
女の子らしいと何がいいのかは分からなくて、少し不満はあったけど、女の子は女の子らしくしなきゃいけないんだ、と親の言うことを信じていた。したいことや好きな自分じゃなかったけど、褒められるのは嬉しかったから。自分が好きな自分より、周りが期待している私で過ごそうと思っていた。
「もったいない」と言われる意味はわからなかったけど、みんなが喜んでくれるならいいやと思っていた。

私は大学生になった。そして、バイセクシャルになった。
今まで男性の恋人しかいなかったけど、初めて女性に好意を抱いた。最初は自分でも驚いたけれど、好きな人と過ごせることは幸せだった。何人かの友人に相談した。優しい友人ばかりで、みんなさらっと受け入れて、応援までしてくれた。でも、中には「かわいいのにもったいないなあ」という冗談まじり言葉もあった。
私は好きな人がいて、一緒に過ごせて幸せだと感じているのに、相手が同姓というだけで「もったいない」になるのはなんだろう。
女性は男性を好きにならないともったいないのだろうか。
この疑問を持ったとき、私は確信した。絶対に違う。
自分がしたいこと、好きだと思うことにもったいないなんてない。

私は私。周りに流されて自分がしたいことをやらない方がもったいない

私はその女性を好きな気持ちに自信を持っていたし、ショートカットでボーイッシュな自分も好きだ。もちろんそんな自分を褒めてくれる友人もいる。誰が何を思ったって、何を言ったって自分が好きな自分、やりたいことをやる自分に、「もったいない」なんてない。

髪を顎より短く切った。黒く染めた。メンズの服をたくさん買った。ゆるいズボンにパーカーやシャツ、自分が好きな格好をした。何かあったの、と心配してくれる友人もいたけど、ただ気づいただけ。周りに流されて自分がしたいことをやらない方がもったいないって。

自分が好きなありのままの自分で友人たちと過ごす方が楽だった。楽しかった。これが自分なんだって初めてさらけ出せた気がした。それを認めてくれる環境が心地よかったし、やっぱりこれでいいんだって思えた。

「女の子なんだから女の子らしくしなきゃもったいない」
「せっかくかわいいんだからもっとかわいくならなきゃもったいない」
「背が高いんだからそれを活かさなきゃもったいない」
「女性なんだから男性を好きにならなきゃもったいない」
これって全部が正解ではないと思う。
女の子でもボーイッシュになりたいならなればいいし、可愛くなりたいと思ったとき努力すればいい。背が高いのは高い所の本を取ることに活かせたらいいなくらいに思ってるし、女性だからって女性を好きになってもいいと思う。
本当の自分を押し込んで過ごす方がもったいない。
これからは自分らしく、好きなように生きていこうと思う。