「勤め先って女性が多いんでしょ? 働きやすそうで良いわね~」と、教員時代の知り合いに会うと、よく言われることの一つがコレだ。前職の教員から、美容健康に携わる今の勤め先に転職したのは3年前。

近年、女性の社会進出が唱えられ、今まで男性中心で回っていた企業の中でも、女性のトップが現れ指揮を取ったり、育休後に復帰しやすい環境や措置が取られていたり、働きやすさを求め、社会全体で女性の味方に立つ流れを感じる。

前職の教員では男性も多かったが、現職は女性が多く在籍している

勤め先は、規模としてはあまり大きくはないが、職業柄女性が多く、ベンチャー企業ということもあり、風土としては新しさを感じる。その一方で、会社の歴史が浅く、今まで産休・育休の取得者はいなかった。昨夏に出産を経験した私が、その第一人者となってしまった。

教員時代は、もちろん周りには男性教員もいたし、公務員という安心要素で制度的なものに関しては大変恵まれていた。育休も取れるし、復帰も確約されている。正直なところ、心身共に疲弊する仕事ではあったが、安心出来る部分も多かった。きっと自分が抜けると、穴埋めのために管理職の方々を翻弄させることになるだろうが、「今まで、他のママ経験者も同じ思いを経験してきた」と割り切って過ごしていただろうと想像する。

一方、現在はどうだろうか。女性が多く在籍していると聞けば、女性も会社の戦力として大切にされている気がして、一般的に良い印象を持たれるかもしれない。しかし実際は、女性の需要が多い業務内容ゆえに、供給する側も同性のほうが都合が良いということもあるが、入社当時は女性らしさを生かせている気がして、イキイキと働けていることが楽しかった。

自分の中で潜在的に男性は、“敵”のような存在だと見做していたのかもしれないが、同性同士で同調することで、更に仕事へのやる気を高めていった。

妊娠や出産は人生において、ハレの出来事であるとばかり思っていた…

しかし、妊娠を機に、その思考は浅はかだったと思うようになる。日々の体調に応じて可能な仕事も限られてくる、いずれは産休に入るため、会社を抜けなければならない。自分が急に使い物にならなくなった気がして、後ろめたさを感じるようになった。

また、働く上で同じ女性といえど、その人生背景は様々だ。未婚者、不妊治療を経験した者もいる。私の置かれた状況を心から「おめでとう」と言い難い人達もいたと思うし、同性でありながらも辿ってきた人生の違いから、共感しにくい部分ももちろんあったと思う。

私自身も独身時代は、既婚者とは勝手に住む世界が違うと線引きしていた。妊婦さんは未知の存在であり、どのように接するのがベストか分からず、ただただ体調を見舞った。

ありがたいことに私の妊娠時、勤め先の皆からは大人の対応をしていただき、表立って非難されることはなかったが、きっと中には無理をして接してくれた人もいただろうと今になって振り返る。

妊娠・出産は、人生においてハレの出来事であるとばかり思っていたが、実際は同性であるからこそ、渦巻く嫉妬云々もあるわけで……。なかなか気疲れの連続だった。

妊娠時、男性が妊婦のカバーをしてくれることが多いような気がした

ここでふと、考えたことがある。もし、妊娠発覚時、周りに男性社員が働く環境だったらどうだっただろうか。男性は生物学上、出産は出来ない。近年、妻のサポート要員として育休を取得する男性も増えているものの、残念なことにそれは少数だと聞く。

「男は外で働き、女は家を守る」と真面目で言われた通りに動きがちな国民性もあってか、まだ封建的な教えが根強く残る、この国。この呪縛は本当に強固なもので、現代においても男性の育児への参加率を阻害しているし、家庭を持たない女性はそもそも話にならないといっているように感じ、非常に不快な呪いだ。

もし妊娠時、周囲に男性が働いていた場合を想像してみると、結局彼らが妊婦のカバーをしてくれることが多いような気がしてしまう。それは、結局のところ出産するのは女性だから。

最近では、「男性だから~」「女性だから~」と性別に固執して物事を述べるのはナンセンスであり、差別を助長しかねないセンシティブなことでもあると承知している。しかし、同性だから、必ずしも内面全てを分かり合える保証はないし、女性の一大事である出産の裏で、影の立役者として手助けしてくれるのは男性であることもある。

様々な価値観が入り混じる世の中であるが、ブームに乗ってなりふり構わず女性を採用すると、意外と同性同士で首を絞めることもある。

昨今は「女性の地位向上ばかりで、男の肩身が狭いよ」という男性諸君の意見も耳にするが、私個人の意見としては、男性の存在だけで心が軽くなる女性もいるということを書き残しておきたい。