私は父からの愛というものを知らない。物心ついたときから、私は母と祖母とによって育てられた女の園の中の女である。
かといって父は浮気性でもギャンブル依存症でもアルコール中毒者でもない。ただ、ちょっと『変わってる』だけなのだ。

両親の離婚。そして幼ながらに感じる「父って変わっている?」

幼い頃、私は母の愛情を一身に受けて育っていたので、何も寂しさというものはなかった。でも、幼少ながらにトラウマはあった。
母が強く私の手を引っ張って父の家を出ていくその瞬間、父は留めようともせず、追いかけてもこなかった。それが悲しかったのか、フラッシュバックしてはいつもひとり泣いていた。
「ねえ、パパに会いたい」
小学校低学年のとき、こう母に告げた。
「パパの家に遊びに行きたい!」
そうきたらもう駄々をこねるしか方法はないが、母は意外にもすんなりと快諾してくれた。
こうして私の夏休み、冬休み、春休みのショートステイが小学校卒業まで続いたのだった。
しかしながら、相手をしてくれるのはいつもおじいちゃんだった。父といえば、家業を手伝いながら独り仕事場にこもって、相手すらしてくれなかった。
それでも楽しかったのは、父に無理強い言って高い高いや肩車をしてもらうことだった。男性ならでは出来る遊びが出来て、私は嬉しかったのを覚えている。
父と関わるときはいつも楽しかった。いつも笑って、父を笑わせようとして。父の家に行くこと自体、旅行のようなものだったからだ。
そんな父は、皆から『◯◯ちゃん』と呼ばれている。私も皆が使っていたからそのように使っていたが、私が父を本当に『変わってる』と思い始めたのは3年生のときだった。
父が私のことを「だいすきだよ」や「かわいいね」と言う姿を見たことも聞いたこともない。ただ、私のいとこにあたる小さな男の子だけに対して、「かわいいよね」とだけ私に言ったのだ。
最初は、私じゃないのかと残念に思ったが、後で母に話すと母は黙った。「なんで私にはかわいいとかだいすきとか言わないんだろね」という私のつぶやきを、母はあいまいにうなずいただけだった。

父が私を褒めてくれないワケ。そのカミングアウトは離婚をした母親から

「話があるの。ちゃんと聞ける?」
6年のあるとき、母の目つきが急に真剣になって私は驚いた。
「私がパパと別れた理由のこと」
「…….うん」
すると母は堰を切ったように淀みなくも静かに話し始めた。
私の父親は母を愛してくれなかった。いや、愛せなかったのだ。
おそらく、彼が愛したのは女性ではなく男性で、かっこいい男性を見るといつも目で追っていたらしい。でもカミングアウトはしなかった。親にばれるのを恐れていたからだ。
家業を引き継ぐ後継者として子供を望んでいた両親は、無理矢理母とお見合いで結婚させ、子作りを強要した。ましてや生まれた子どもが女の子だったから、心から喜べるはずもなかった。
つまり、私は望まれずに生まれた子どもだったのだ。
家は借金まみれで自転車操業、姑いびりや集団いじめに疲れはてた母は父に助けを求めても、のらりくらりとかわすだけだった。
「俺はずるいんだよ」
そう母に吐き捨てたのを覚えていると話してくれた。

もしパパが正直にいられる世の中だったら、きっともっと人生は彩っていたね

私はショックだった。そして、バカだった。いつも父の家に遊びに行っていたのも、今思い返してみれば母と父が仲直りしてほしいと思っていたんだとわかったと同時に、それは叶わない幻でもあったことにも気づいた。男の人が好きな男性に女性を愛せといっても無理な話だからだ。

パパ、最後に言わせて。
どうしてカミングアウトしなかったの?女性を愛してとは言わないから、自分は男性が好きだって、私に言ってほしかった。「◯◯くんかわいいね」なんかじゃなくてさ。
どうして逃げなかったの?親の言いなりになって辛いことばかりしてさ、自分がかわいそうじゃないの?へんぴな片田舎だったから?親の圧力が強かったから?それとも自分に自信と勇気が足りなかったから?
さまざまなセクシュアリティが取り上げられている今だからこそ言いたかった。
もしもっと遅くに生まれてたら、もっと人生良くなるはずだったのにね、パパ。