私が政治に求めているのはただ一つ。
推しを戦争に連れて行かないで、ということである。
推しを戦場に行かせないために私は選挙に行っている。

難しすぎる政治と最近の私

若者の選挙離れが、選挙のたびにメディアで取り上げられている。
なぜか。
私が思うに、政治が難しすぎるからである。
私は、もう若者の部類ではなくなって、気づけばアラサーの部類なのだけれど、政治に対する苦手意識が拭えない。

なぜ、重要なことのはずなのに、あんなに難しい言い回しをするのだろうか。お役所関連の書類の堅苦しさといったらない。もっとわかりやすい言葉を選んで書けばいいのにと、最近仕事を辞めて、引っ越しをしたりと書類にまみれた生活をしてより強く感じた。

自分の無能さを晒しているようにも思えるので恥ずかしいけれど、甲とか、乙とか、そういう時しか使わない言葉で溢れた書類をみてげんなりした。
もう、なんかいっそギャル語にでもなればいいのに。とか思ったけれど、ギャル語もネイティブではなかったので、それはそれでハードルが高いか……と思いとどまるにいたる。
それにしても、あの表現で皆理解できているのか。私がおバカを晒して生きているだけなのだろうか。重要事項を全部読んでから「同意する」をクリックしている人がどのくらいいるのだろうか。
ユニバーサルデザインという言葉もなんだか聞かなくなってしまったけれど、重要なところだけ小難しい単語を並べてなんとかややこしくするのって詐欺っぽくないか、とすら思う。
困ってる時にアクセスすべき場所が、退会のボタンを探すかの如く難しいのはなんのバグなんだろう。
知識がある人しか使用できない場所やものであっていいのかな?という思いはある。

政治に対するある種のあきらめと、それでも譲れないこと

さて、そんなこんなで難しくてわからないもの、というイメージが強すぎることと、自分の1票の価値について全然重さを感じられないことが、選挙から人を遠のけていると思う。

公約通りに何かを成し遂げた人がいるのかもわからないし、どうせ、何にも知らない一般の私たちの暮らしのことなんかぜったい興味ないだろう。とりあえず聞こえがいい言葉を並べているだけなのでは、という雰囲気が拭えない。
選挙の仕組みもいまいちで、投票に行ったら選択肢が少なすぎて笑ったこともある。
それくらいの理解しかないし、自分の1票で何かが変わる気もほとんどしない。

でも私は投票には行っている。
なぜか。
推しを戦争に行かせないためである。

戦争は日本人には遠い昔のことになった。
もちろん私は知らない。
でも、世界では普通にそこにあるものなのだ。
最近特にそれは足音を立てて近づいてきているように思う。

推しが戦場に行かない世界を続けていくための、私の小さな意思表示

昔、戦争の作り方という本を読んだ。
どんな風に戦争を肯定していくのか、私たちが気がつかないうちに、そっとその準備は始まっているのかもしれないというような内容だった。
今の日本は少しずつ、あの本の通りになっているような気がしている。

お金のことも、制度のことも難しくてよくわからないことだらけだけど、好きな人、身近な人を戦争に行かせたくないということだけは私の中で確かな意思として、難しくてもきちんと向き合っていきたい問題だと思う。

大好きな推しを戦場に連れていきたくない。
推しに拳銃を持たせたくないし、推しを人殺しにしたくない。
家族も戦場に連れていきたくないし、大好きな人も、戦場に連れていきたくないのだ。

もちろん、自分も。
いつ、爆弾が落ちてくるかわからないような日々を送るのは嫌だ。
大好きなエンタメも、平和な世の中でなければ成立しないと思う。
でも、何より大事な人を戦場に連れて行かれたくないのである。
だから私は選挙に行く。
政治には、戦争をしないという日本を守り続けてほしいと願っている。
オタクがみんな選挙に行ってくれたら、推しが戦争に行かずに済むかもしれないよ。

私たちの声はどのくらい届いているのだろう。
大きくない声は届いていないのかもしれない。
それでも、一応戦争には反対していますという意味を込めて。
私は、選挙の1票で小さな意思表示をしている。