「この人と結婚するんだろうな」と初めて思って付き合った相手と、3年付き合ってふった話。
「結婚と恋愛は別」だと思う人もいれば、「結婚=恋愛」だと思う人もいる。
私は「恋愛」の延長線上に「結婚」があると思う。

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「相手が好きになる」「1時間でも会えるなら仕事を早く切り上げて会いに行く」「朝のおはようが来ないと、体調が心配になる」「相手のことが気になって仕方がない」という気持ちが「恋愛」。
「恋愛」というスタート視点から、「結婚」という中間地点を通過できるかが、重要なターニングポイント。

そう、「結婚」は中間地点であって、人生のゴールではない。
「結婚」すれば幸せになれるわけじゃない。
「結婚」しなくても、モノとサービスにあふれた豊か過ぎる環境で、幸せになれる時代に、「結婚」を選ぶことの意味を考えてみた。
お金のため? 子供をうむため?
一人で寂しく死ぬことがないようにするため?
「結婚」の意味は、千差万別だけれど、他者と生活を共にすることは、相手に何かを求めることだと思う。
それは、愛かもしれないし、お金かもしれない。
自分を信じてくれることかもしれないし、健康かもしれない。

「結婚相手」となると、収入の安定や、2人でどこに住むのか、どこに家を買うのか(もしくは買わないのか)、たとえ女性側が転勤することになっても、ついてきてくれるのか、全くロマンチックではない価値観のすり合わせが必要になる。

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これは、私が3年付き合っていた彼と、「恋愛」から「結婚」に移る間に起きたこと。
「もし結婚するなら、貯金もしてほしい」「もし結婚するなら○○」と、私が彼に対して、「恋愛」と「結婚」に関する質問を投げかけることがあった。
彼との会話で、彼にとっては「恋愛=結婚」なんだと知った。
私にとっては、「恋愛」の延長線上に「結婚」があるのに。
「愛し合っているから結婚する。相手にも愛を求めたい」
感情だけで「結婚」に踏み込める彼にとって、「結婚」と一緒に「キャリア」「家族」「金銭感覚」「安定」について考えをめぐらす私はあまりに「理性的な」「現実主義な」女性らしい。

「恋愛」と「結婚」に関する価値観のすれ違いが大きくなった頃の出来事。
愛犬が亡くなり、仕事も忙しくなった彼。
寂しさのあまり、新しく犬を飼った。
若い子犬はまだやんちゃで、天使のようにかわいいけれど、手がかかるのも事実。
新しく買い始めた犬の世話をし、家事はもちろん、繁忙期の仕事もこなす生活で、「もうこれが限界」と疲れ切っていた彼を見ながら、私は「えっ、彼が耐えられる最大値がこれなの」と彼に失望してしまった。
「家事と繁忙期の仕事の両立に耐えられたから、僕たちの将来、どんな試練があっても大丈夫。乗り越えられる」と言う彼に対して、言いたいことはたくさんあった。

心の中で、
「えっ、家事と仕事だけでもうギブアップなの」
「日本の女性は、結婚して出産、育児を経験し、職場復帰した後も、当たり前のように朝食と夕食の準備をして、当たり前のように日中は仕事をしているのに」
「もっと困難なことが起きたとき、家事と仕事だけでギブアップの彼なんて、頼りにできるの?私が人一倍頑張らないといけないじゃん」
と愚痴をこぼした。

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心の中で感情と不満の大洪水が起きていたけれど、全てを吐き出してしまったら、大ゲンカになる。
だから、全ては言わなかったけれど、思わず「そんなに精神弱い人だと思わなかった」と言い放ってしまった。
彼はショックで悲しそうにしていた。
「僕だって頑張ってる」

私にとっては言い訳にしか聞こえなかった。
「仕事頑張ってるね。いろいろと大変だね。偉いよ」と褒めてほしいことは分かっていた。
「褒める」ことさえ嫌になった。
彼と「結婚」したら、彼は私のことを支えてくれるのだろうか。
彼自身のことに精一杯になって、私に「励ましてほしい」と迫ってくるばかりになるのではないか。そんな不安が頭をよぎった。
私は誰かを支えるために「結婚」するわけじゃない。母親のように相手を励まし続ける愛なんて、御免だ。同じくらいの負荷に耐えて、同じくらい支え合える「結婚」がしたい。

「私は、結婚して、あなたのママになりたくない。さよなら」
その捨て台詞と共に、別れた。