わたしにとっての恋はすなわち
2年弱付き合った恋人と別れた。バツイチで27歳年上で、周りの人にも家族にも、あまり良い顔はされなかった。それでも盲目的に恋していた相手だったのに、わたしはまた、一つ恋を終わらせてしまった。
どうしてこうなってしまったんだろうと、毎日毎日、お酒を飲んだり、半身浴をしたり、職場の先輩と寝たりしながら、考えている。
きっとこの人が運命の人なんだと思っていた。趣味が同じだし、あまりにも年齢が離れているのに職場で出会ってしまったし、あまつさえ恋に落ちてしまったし。年齢差なんてひとつも感じることなく、私たちの約1年半は幸福そのものだった。真夏にベランダで缶ビールを飲むわたしが仕事の愚痴をポロポロ吐くのを聞きながら、彼は煙草を吸って夕焼けを眺めていて、その指先と瞳はまさしく芸術だ、と思っていた。
でもダメだった。運命だと思っていられたのは1年半の間だけで、結局最後の半年程度で、恋は終わってしまった。つまり、わたしにとっての恋はすなわちセックスだった。
恋している男と寝ることができないなんて…
芸術だと思っていた指先がわたしに触れなくなってきて、運命だと思っていた関係性が少しずつぎこちなくなっていって、わたしは耐えられなかった。恋している男と寝ることができないなんて、どうして一緒にいれるだろうか?
彼はいつも「誰よりも君を愛している」と言ってくれていたから、本当に、悲しいけれど、たぶん年齢による身体機能の問題で、だからセックスはなくなってしまったんだと思う。ひょっとするとわたしに対する言葉が嘘だった可能性も、なくはないけれど。
でも、それだけで、わたしは恋を続けられなくなってしまった。本当に、心から恋していたのに。愛というものが、何があっても相手を慈しみ続ける感情なのだとしたら、わたしはもう26歳になってしまったのに、たかがセックスひとつの問題で、恋を愛に変えられなかった。
恋の延長線上に愛がある、というのは、わたしの思い込みなのだろうか
セックスレスでも結婚している友人だっているのに、どうしてわたしは、恋に固執して、またひとつの関係性を壊してしまったんだろう。
本当に、煙草を挟むあの指先は、美しかったのに。
どうしてこうなってしまったんだろう、運命の人だと思っていたの、と結婚している友人に言っても、「愛しているけど、旦那を運命の人だなんて思ったことはない」と笑いながら返事がくる。じゃあみんな、運命とか、恋とか、セックスとか、そういうものに固執せず、生活者として、愛する相手を選んでいるの?それは結構、とてつもなくすごいことなんじゃないの?
恋の延長線上に愛がある、というのは、わたしの思い込みなのだろうか。わたしは、彼の煙草を挟む指先が、確かにわたしを愛まで導いてくれると思っていた。恋のさなかのセックスによって、それが頓挫するなんて、考えすらしていなかった。
毎日毎日、終わってしまった恋について考えている。何となく流されて職場の先輩と寝てみたら、やっぱりこういうのが恋なんじゃないのか、と、わたしはまた思ってしまう。
でも、わたしは、彼の煙草を挟む指先の美しさ、彼の持つ芸術性を、無条件に慈しんでいる自分に気づいて、半身浴をしながら少し泣いた。それでも、セックスがなかったの。それだけが、わたしと彼の間には、なかったの。