忘れたくないことをいつの間にか忘れてなるのが大人だと、26歳になってよく思う。そして覚えておきたい出来事を写真や動画で簡単に残せるこの時代に、忘れたくないと思うのはいつだって日常の中のほんの些細な一瞬だとも思う。

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たとえば。夜風の気持ち良い5月の夜、ほろ酔い気分で歩く時思い出すのは、15歳の初夏のこと。
彼と親友と3人で晩御飯後に待ち合わせ。寝巻きにサンダルで落ち合って、長い長い散歩。同じクラスで昼間もずっと一緒にいて喋ってるのに、永遠に尽きない話題。くだらないことでお腹が痛くなるくらい笑えた。11年経っても3人揃えば馬鹿笑いできる関係であることはちょっと自慢。

たとえば。休みの日、まだうとうとして半分夢心地のまま朝日がベッドサイドの窓から差し込んで、きらきら光っているのを見るたびに思い出すのは16歳の夏のこと。
夏休みの終わり、昼下がりに彼の部屋で2人うとうとしながら映画を観ていた。エアコンの風が心地よく頬を撫でて、ベッドサイドの窓のカーテンを揺らす。
彼の家は海が目の前だったから、白いレースの隙間から、海面のさざめきがきらきら光って眩しい。何の映画だったかはもう思い出せないけれど、セリフと微かに聞こえる波の音が子守唄になって、穏やかな寝息を立てる彼の頬をつっつくのが好きだった。

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たとえば。旅行の前日の夜寝付けない時、思い出すのは18歳の冬のこと。
卒業旅行で彼とディズニーランドへ行くことに。大好きなディズニーランドに久しぶりに行けること、彼と一緒なこと、旅行のためにアルバイトを頑張ったこと、初めて家族以外と遠出することも相まって、朝一番の飛行機に乗るくせに全く寝付けなかった。
始発に遅れず乗るために、彼の家に泊まったはいいものの、ずっとお喋りが止まらない私。深夜2時になっても小さく続く会話。そんな私に、子どもにするように背中をゆっくりとんとん叩きながら早く寝なさいよと苦笑いする彼の顔は、8年経っても変わらない。

たとえば。ラテアートの大会に出る度、思い出すのは20歳の夏。
初めての大会で、心臓が口から飛び出るってこういう時に使う言葉なんだと、身をもって知った。彼と一緒に牛乳をどれ程使ったかもわからないくらい練習した。その半分も出せたかどうかの結果だったけれど、その時知り合ったバリスタの皆さんとは今も良い戦友として、師として仲良くさせていただいている。試合直前の自分を思い出して、あの時より上手くなったと自分を鼓舞するのがルーティンになった。

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長い散歩道も、揺れるカーテンも、わくわくして眠れない夜も、震えるほどの緊張も、データじゃきっと、全ては残せない。記憶はどんどん薄れていくし、もう10年経ったら思い出すのは16歳じゃなく26歳の私が感じる今のことかもしれない。
でも、そのどれもが彼と一緒に過ごしてきた日々の出来事で、今の私を形づくる小さくて、でも大きな思い出たち。忙しなく過ぎていく日々の中で、ふとした瞬間に思い出して少しの幸せと充足感を与えてくれる。
私は忘れずに、いられるだろうか。いや思い出は忘れても良い。

でも、どれだけ年を重ねても5月の夜に夏を感じてわくわくしていたい。
朝日に目を細めて、二度寝するのをもったいないと思いたくない。
旅行に行くなら旅のしおりを作るくらい乗り気でいたい。
過去の自分に胸を張れる自分でいたい。そんな風に私が大切にしてきたものをこれからも大切にすることを良しとして、綺麗なものを綺麗だと思えることに重きを置きたい。そうしていれば、きっとまた。
データには残せない些細で、けれど重大な思い出が、この先の私を彩ってくれることを忘れずにいられるだろう。