私の一日の目標として、一日一善というのがある。言葉の通り一日にひとつ、良い事をする。

今これを書いているのは、京浜東北線の車内だ。ふと周りを見渡してみると、皆疲れている雰囲気を意図的に出して椅子に座っている。私の目的地は東神奈川で、今は東京とまだまだ遠い。

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電車に乗るたびに思い出すのが、私が足の手術をしてやむを得ず松葉杖生活になったときのこと。交通手段として電車を利用し病院に向かうが、驚くほど席を譲られない。
決して譲って欲しいわけではないが、流石に30分以上片足立ちで電車に乗るのはキツい。優先席付近に立って、空いたら座る様にしていたが、これが中々空かない。

ある日、病院に向かう為にまた電車に乗り、席が全部埋まっており、立っている人もそこそこいる状況に遭った。今日も座れなさそうだと最初から諦め、ふと車内を見渡し人間観察をして時間を潰す事にした。
するとどうだろう、8割方はスマートフォンにかじりつくように見ている人、残り2割は寝ている人と、なんだか凄い世界になったなと肌身で感じた。

少し前までは本や新聞を読んでいる人や、楽しそうに一緒にいる人とおしゃべりをする人と、色々な電車内での過ごし方みたいなのがあったような気がする。コロナが流行り出してからは、暗黙の了解で話すのも咳をするのも駄目になったのではないだろうか。
自分が松葉杖生活になってから余裕を持って周りを見られるようになったのか、その電車内にいるだけで少し悲しい気持ちになった。

ピリついた車内で空いた席の争奪戦、最近貧しくなったとはいえど、経済的な面だけでなく精神的な面でも貧しくなったのかと思う。そんな電車内で自分が逆の立場、つまり足が使えるようになり松葉杖の人を見かけたら、絶対に声を掛けようと決めた。
それが地道な一日一善という日々の目標が達成されるきっかけにも繋がり、私は余裕を持って生きています、という自信にも繋がるかもしれない。

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そんな事を思いながら、優先席の意味合いについても考えてみた。
座っているのは疲労感を醸し出しているサラリーマンやOL、大きい荷物をもった人等が陣取っており、その目の前に立っているのが妊婦やヘルプマークを持った人、その横に松葉杖の私とどこか皮肉な状況だ。
私は何回も優先席を利用する人の項目を眺めた。怪我をした人、妊娠している人、ヘルプマークを持っている人と……。優先席とは名ばかりで、実際には普通の席の感覚とさほど変わりはないのではないだろうか。

この間何かの記事で、北海道の鉄道会社が優先席という名前ではなく専用席という名前にしているというのを読んだ。日本人の性質を理解している賢いやり方だと思った。専用席にすることで、大抵の人は使うことに抵抗を示し、本当に必要な人が使える席になる。
それ以前に譲る精神を基本的には持って欲しいと心の隅では思ってはいるが。今日も電車は混んでいる。物書きをしながら、乗降者の中に席を必要としている人がいないか確認する。注意力が散漫するが、一日の目標を達成する為だ。

次は川崎、電車内は相変わらずシーンとし、皆スマートフォンに夢中である。