10年前、父からメールが届く。
それが、どれだけ愛おしくて優しくて、そして勇気のある言葉で溢れていることを実感したのは、ここ最近のことだ。
10年前の秋頃、私は突然に激しい腰痛に襲われた。あれよあれよと足まで痺れてしまって痛くてたまらなかった。一歩踏み出すことすら散漫になり、長く歩くのも苦痛な状況に陥った。
そして、とある腰の病気を診断された。決して生死に関わるものではないが、日常的に一生付き合わなければならない病気となった。
まだ19歳。これから若いからこその楽しみを馬鹿みたいに、たくさん満喫しようと思っていた矢先だった。若いからこその無茶苦茶なことをしよう、そんなことを夢に描いていたものだからショックだった。
当時していた病院の看護助手のバイトはドクターストップ。そして辞めた。わりと重症だった。
でも、いますぐ手術するレベルでもなく、ただただ早急に治療が必要で、少しでも苦痛を取り除いたほうが良いとの診断だった。
当時は大学生だった。親元を離れているなかで、しかも家族がすぐには駆けつけられないほどの遠い距離で生活していた。
電話やメールで状況を伝えて吐露するしかなかった。痛さやしんどさで泣きながら、ただただ私の声を聞かせてあげる事しか出来なかった。
この体で働けるの?見知らぬ土地で通院しながら何度も何度も未来を悲観
そして、一生って、どれくらいの年月なのだろうか。
金銭的に、どれくらい掛かるのだろうか。
はたして卒業したら社会人として働けるのだろうか。
脳内で将来的な計画を思い浮かべては、妥協案や打開策をひたすらに思考して、いつも結論には至らなかった。
数ヶ月前に大学に通い始めて、見知らぬ土地の整形外科で、たくさんのお年寄りに混じって、いち大学生が通院する日々のなかで何度も何度も未来を悲観した。
若いからって身体が強いわけじゃない。
足腰が強いわけじゃない。
今みたいにヘルプマークみたいなものはなく、電車で優先席に座っていると周りの視線が怖かった。座りたいのに立つしかない状況に運悪く遭遇してしまうことも多かったから、これから先の未来への不安も一気に溢れ出した。一概には言えないけど、目には見えない・感じられない病気や障害の苦しみを痛いほど味わった。
全く響かなかった父からのメール。意味がわかったのは随分経ってから
当時の両親や家族の心配を想像するだけでも胸が痛くなる。そして、その心配を吐露する気持ちを隠せていない父からメールが届いた。
「今は医療技術の進歩があるのだから、出産のときは存分に活用しなさい」
誰よりも、まっさきに届いたメールだった。
でも当時の自分には全くと言って良いほど、正直響かなかった。ただでさえ今が大変なのに、こんな状況が一生続くかもしれない中で未来なんて想像できない。
苦しい。痛い。しんどい。早く痛みを取ってほしい。しびれを取ってほしい。じいちゃん、ばあちゃんに混じって整形外科に通うなんてイヤだ。一生続くなんて冗談じゃない。
そんな気持ちが溢れまくっていた、まだ10代の私は父の言葉を噛み砕いて理解するまでに時間がかかってしまった。
今の状況よりも未来のことなのか、と疑問しか思い浮かばなかった。
でも、あれから年月が立ち、思い返せば父の想いが今では理解できる。
普段は寡黙で言葉足らずで、ぶっきらぼうで、家族のなかでも昔気質なところがあるのに特別なにもなければ意見しないし怒らない。
我が家は昔から女性のほうが強くて、父の意見は、どうしても霞んでしまうことが多かった。
でも、いざと言うときの真っ直ぐな的確な行動や発せられる言葉には、誰にも負けないくらい大きな力が漲っている。普段から、それくらい強くても良いのになって思っていた。
結婚や出産を意識する年齢になって父の言葉が一段と身にしみる
当時一番しんどい時ですら、家族にも大学の友達にも多くは語らず、人知れずに必死で闘っていた。
先生による的確な診断と服薬治療、コルセット治療により一年でほとんど寛解状態になった。一年後には別のアルバイトを始められるほどだった。
そして同時にまた始まりでもあった。4年の大学生活のなかで手術こそしないものの、何度も何度も悪化しては治療し寛解しを繰り返した。そのなかでも頭から離れない、あの日の父の言葉。
父が想う女性ならではの出産への不安を、10代の私に真っ直ぐに伝えた、父の勇気と優しさに感謝でしかなかった。
将来、娘の妊娠が分かったときを想定して、早くから誰よりも向き合ってくれたことが嬉しかった。それなのに、私が若すぎたゆえに素直に受け取ることが出来ずに、父に似た、ぶっきらぼうな言葉で返事をしてしまったことが悔しい。
いま結婚や妊娠、出産を意識するような年齢になって父の言葉が一段と身にしみる。
今、当たり前のように社会人として働くことが出来ていることに幸せを感じずにはいられない。腰の病気を抱えて未来を悲観した過去。その過去を乗り越える事ができ、今もまだ闘い続けながら日々を過ごせることに感謝しないわけがない。
父があのとき届けてくれた、娘の幸せを一番に考えて伝えてくれたことに感謝したい。御礼を伝えたい。