たとえ私が記憶喪失になったとしても、覚えておきたい。
絶対に忘れたくないもの。
それは私の友人の優しさだ。

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もちろん、いま好きな人のことも忘れたくはない。
けれど、私の友人はその人以上に特別なのかもしれない。自分でもよくわからないけれど……。
友人の中で、その子だけ特別(?)みたいな感じだろうか。

その友人とは出会って今年でちょうど10年になる。10周年アニバーサリーだ。
私とその友人は性格がよく似ていて、非常に明るくテンションが高い。
誕生日も近くて、血液型も一緒。兄妹関係も似ており、なにかと気が合う。
一方で趣味や好きなものは全く異なるが、お互い興味がない話をしていても苦にならない。心を許せる人とはこの友人のことを指すのだろう。友人といたときは本当に楽しかった。
だから、その友人と過ごした楽しい思い出は絶対に忘れたくない。

その友人と過ごす一日は、あっという間に終わってしまう。
ある時、私たちは平和資料館→美術館→うさぎカフェ→カラオケというお出かけ計画をたてた。
資料館に行くまでに迷子になって道をウロウロしたり、うさぎカフェでもふもふしたりととても充実した一日を送った。
カラオケでは友人とデュエットをして、音痴過ぎて大爆笑をした。

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今だからこそこんなに楽しい日々を過ごすことができるのだが、きっと来年は一緒に過ごすことができなくなるだろう。

私は来年の4月に就職をする。
友人も専門学校を卒業して、病院で働くことになる。
お互い社会人一年目として働かなければならない。そうなれば、自然と二人で過ごす時間は少なくなる。
今は学生だから毎日連絡をとったり、時にはお出かけをしたりして楽しく過ごせるが、社会人になってしまえばお互いに会う時間を作ることさえ難しくなるだろう。
そんなことになってしまったら、私は友人と過ごした日々を簡単に忘れてしまうのではないか。

興味がないのに一緒に美術館へ付いて来てくれたことも。
私がスタバの注文を間違えて友達が爆笑したことも。
途中で大雨が降って二人でずぶ濡れになったことも。
グーグルマップと相性が合わず、毎回迷子になったことも……。
徐々に忘れてしまうのではないか?

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私は忘れたくない。
私がありのままで過ごせるのは、その友人の前だけなのだ。
そしてその友人も、私の前ではいつも笑ってくれる。笑わせてくれる。
好きな人の前だったら、自分がよく見えるように取り繕うこともあるけれど、この友人の前では“自分”でいられる。“私が私のままでいられる”数少ない居場所なのだ。
この居場所が、この友人がいなくなってしまったら、私はどうすればいいのだろう。
ただでさえ社会に出るのが怖いのに。

私は不安になってしまって、友人に「社会に出たら会えなくなるかもしれない。それは嫌だなぁ……」と相談した。
すると、「時間作って会えばいいじゃん(笑)」という返事が返ってきた。
こんな私と会ってくれるのかと、少しホッとした。
とても優しい私の友人。
これからもこの関係が続いてくれることを願う。