大抵の事は譲ってきた。学芸会の役とか誰もやりたがらない係とか。どうせ誰かがやらないといけないし、私が他人にそれを強要する事は出来ないから、気づいた時にはそうやってうまくやっていた。そして、いつのころからか、譲らない自分に罪悪感を感じていた。
そんな罪悪感を感じても、譲れなかった事がある。

高校の受験先の選択基準は「学力」だけ。だから譲れなかった

将来の道がまだまだ見えていなかったあの頃の私は、出来る限りの可能性を残したくて、高校の選択肢を譲ってはあげられなかった。

私の地元には、公立の通学範囲には進学校と商業高校、工業高校がそれぞれ1校ずつしかなかった。今でこそ、それらの学校の特性が全く違う事、その先の将来だって全然違う事を理解できるが、受験していた頃の私の選択基準はただただ自分の学力だけだった。
だから、当然のように進学校が1番だったし、工業高校に行く友達は勉強自体を諦めている子も多かった。

友人からの頼みに「無理」を伝えただけなのに、今も心に引っかかる

そんな状況だと、学力的にその狭間で悩む友達がいた。進学校と商業高校の間。私の受験した時には、受験票を提出してその受験人数が分かってから、少しの間だけ受験先を変更できる制度があった。
進学校にも普通コースと進学コースとがあり、私とその友達はどちらも進学校の普通コースを志望していて、その受験人数は募集人数より1人多かった。狭間だったその友達はすごく悩んでいて、ふと私に「進学コースに変えてよ」と言った。
進学コースは定員が割れていて、私にはたぶん合格するだけの学力があったから。それでも私はそれは無理だと伝えた。正直どちらでもよかったとも思うけど、不安もあったから。

その友達は悩んだ末に、商業高校を選んだ。それでも商業高校からの推薦で、夢だった看護系の学校に進学したと噂に聞いた。そしてその友達から頼まれた時には譲れなかった私は、1年から2年に進級する時に進学コースへ転学した。

たったそれだけの事だ。でも、私にはその選択がずっと引っかかっている。
譲れなかったからなのか結果が変わらないからなのか、あるいは私がその友達を低く見ていたからなのか明確な理由は分からないけど、就職して何年もたった今でもあの瞬間を思い出す。
合格する事がゴールで、その先が見えていなかった。だから、推薦なんて制度も転学なんて選択肢も知らなかった。

目の前の選択肢から選んだ事実。一つ一つに胸を張れる日々を

今の視点から結果を見るなら、私も友達もそれぞれの時に選択した道は間違っていないと思う。私は受験の時とは違う観点で転学したし、友達もちゃんと看護師に就職した。明確に違うとしたら、それは私と友達が同じ高校に進学しなかった事だろうか。でも同じクラスや部活になるかは分からないし、やはり微々たる違いだと思う。

譲る事、譲らない事。どちらが正解かなんて事は分からない。その選択肢のずっと未来までを見通して決める事なんて出来ないのだから。
それでも、そこに選択肢があった事とそのどちらかを選んだ事だけは事実だ。
そのどちらにも当事者たちの願いや感情があって、そういう物の積み重ねが関係を作っていく。私の友達との縁が消えてしまった事が私の選択による結果なのかは分からないし、その後また戻るかも分からない。それでもその一つ一つの選択にちゃんと胸を張れる日々を送りたい。