自分がされて嫌なことはしない。
子どもの頃、さまざまな経験を通して私たちが学んできたことだろう。親に、学校の先生に、地域の人に、友達に、私に関わってくれる多くの人が、私にこれを教えてくれた。自分がどんなふうに他者に振る舞えば良いのか、相手を思いやる気持ちを持つとはどういうことなのか。いろんな人と接してきたことで感じ取り、理解してきた。
社会に出ると、自分より、年齢もキャリアも全く違う人たちに出会う。新たに出会う人たちから仕事を教えてもらいながら、その場所に順応していくのだが、最初に覚えることや身につけることが多いことに頭を悩ませる。

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仕事において、率先して後輩から先輩に質問するのは全然構わないのだが、それを強要するようにほのめかすのはどうなのだろうか。
あくまでも自分で考えて動きなさいという教えであることは理解できる。後輩として、社会人として、常に心がけて動いていることでもある。それをわかっていながらも、ひとつできれば“できて当たり前”な雰囲気を醸し出し、さらに高次な注文をしてくる先輩は、果たして信頼できる先輩だと言い切れるのだろうか。

「仕事は先輩から見て学べ。助けてほしいならまず声を上げろ。どんなことを伝えたいのか簡潔に言え。まとまってないならまとめてから来い」

言っている事はわかる。求めていることもわかる。しかし、先輩への報告と慣れない報連相を頭の中で組み立てて必死に伝えようとした結果なのだということもわかってほしい。
これは、実際に自分が言われた言葉である。言い方はもう少し柔らかかったかも知れないが、要するに言いたいのはこういうことである。ここで、私の心はポキっと折れた。

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私としては、どのように先輩に報告すべきか考えて、スクリプトを作って話しているつもりだ。伝えたいことを最初に持ってくる、自分はこう思った、これについてどうだろうか。伝え漏れがないように、順序よく伝えられるように、構成を考えて言葉を紡いでいるのだ。
例えるなら、時間をかけて用意した原稿を、噛まずに一言一句間違えないように読み上げながら、時折聞いてくれている人たちへ顔を上げることも意識する、スピーチコンテストの学生のようだ。
言葉に詰まることなく伝えられ、できた、と達成感を得たのもつかの間。で、言いたいことはなに?と聞かれる始末。

ここで求める先輩の関わり方としては、要点はわかっていても伝え方がダメだからという理由で突っぱねないでほしい。一緒に後輩が伝えたいことを整理してくれる姿勢を持ってくれても良いのではないかと思う。
先輩も自分の仕事で忙しいのは十分わかっているのだが、だからこそ後輩は端的に伝えようとして頭の中が混乱している。それを理解しているだけでも関わりは違ってくるのではないだろうか。

ここで先輩にも考えてほしい。自分が後輩として指導を受ける側だったときはどのように思っていたのだろうかと。同じような思いをしていなかっただろうかと。
もし、同じ思いをしていたのであれば、それはまさに、人にされて嫌だと思ったことを人にしている状況にほかならない。また、子どもにはだめだと教えている親も、会社では後輩に知らないうちにしてしまっているかもしれないのだ。自分が子どもに教えている悪いモデルケースの先陣を切ってしまっては説得力がないだろう。

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流行が絶えず変化していくように、人々の価値観も世代が変わるごとに変化していることを知ってほしい。自分が育ててもらった方法はすでに通用せず、下の世代にとってはハラスメントとなる可能性があることも合わせて知っておいてほしい。
統一した教育の仕方より、その人によって形を合わせながら進めていくことが、先輩にも後輩にも双方にとって心地の良い関係性が築けると思う。

今いる後輩も、これから入ってくる後輩も、先輩の当たり前を肌で感じたい訳ではない。それぞれの成長の仕方があり、それぞれのスピードで先輩になっていく。誰かに何かをしてしまう前に、自分は後輩にとってどのように感じられているのだろうと考えることも大切だ。リテラシーや思いやりがあるはずだからこそ、相手に放った言葉に責任を持ち、言動で誰かを傷つけないようにして欲しい。

若い頃に感じた悪しき文化をこれ以上引きずらないこと、若者はSOSをどこかで発信しているのだということ、自分がされて嫌だったことを後輩にしないということ。
これが、私が上の世代に伝えたいことである。